14-036. パリ通信 メニルモンタン 9月28日(日曜日)
2014.09.29
14-036. パリ通信 メニルモンタン 9月28日(日曜日)
日曜日、街は日曜日の装いとなる。花屋さん、パン屋さんなど特別なお店はのぞいて、通常の商店は全て締まり、家族が集まって昼食を楽しむか、友人が集まっておしゃべりをする一日となる。
20区メニルモンタンにある日本人夫婦の自宅に招待されてお昼をご馳走になった。
メニルモンタンは、エディット・ピアフのシャンソンそのものの庶民的な地域だが、最近は開発が進み綺麗に様変わりしている地域でもある。
1時過ぎに到着、フランス風に食前酒・おつまみから始まって、お刺身、メインはおでんと手作りお寿司の日本食をいただいた。
最後はフランス風にコーヒーで締め。
積もる話をして時間の過ぎるを忘れ、いつまでも明るいパリ時間に騙されて、気がつくと5時半、フランス風のお昼になった。
アパートの面している地域は一筋奥に入っていて、古い教会前は映画のロケによく使われるそう。
14-035. 「ちがう視点」
2014.09.19
14-035 「ちがう視点」
「小さいことにくよくよするな!」リチャード・カールソン著のなかにこんなことが書いてあったので・・・
「自分が読むものはすべて自分の意見や見方を正当化するものばかりだ、ということに気づいたことは?
ラジオやテレビ番組の選択にも同じことがいえる。
・・・
私たちはみな同じだ。
意見や視点をつくり上げ、自分たちが信じるものの正しさを確認する作業を続ける。
このかたくなさは悲しい。
というのは自分とは正反対の意見や視点から多くのものが学べるからだ。
・・・
自分とちがう視点で書かれた記事や本を読んでみよう。」
14-034 シンクロ パリの通り雨 アナクロ
2014.09.19
14-034 シンクロ パリの通り雨 アナクロ
昨日の朝は快晴だったパリの空。
夕方急に雲が出て通り雨が降り注いだ。
久しぶりの雨で学校帰りの子供たちはむしろ面白がって喜んでいた。
30分もすれば大粒の雨はおさまり、雨雲が切れ光が遠方から見え出した。
日本へこんなことをすぐに報告できる。
些細なことでも瞬時に伝えることができる。
世界がつながっていることを実感出来る。
同じ時間系を生きていることを感じる。
アナクロ、時間(クロ)が重なり合い交錯する歴史的な空間パリからこれまた歴史ある日本の町大阪へ 情報を発信して、 自分が時間と空間の交点に位置していることに気がつく。
14-033 フランス通信(4) アンラッキー
2014.09.17
14-033 フランス通信(4) アンラッキー
今日は美術館巡りと芸術の秋を満喫しようと張り切って出かけました。
マネのジヴェルニーの続きで、パリ16区高級地にあるマルモッタン・マネ美術館に行きました。
するとどうでしょう、扉が閉まっていて「16日と17日は特別に閉館」と出ているではありませんか!
「睡蓮」「ルーアンのカテドラル」など有名な作品が収められているはずなのに・・・
がっかりです。
運を使い尽くしてしまったのでしょうか・・・
気を取り直し、別の美術館へと向かいました。
「ジャックマール・アンドレ美術館」です。
ガイドブックによれば「パリで最も優雅な気分に浸れる」とあります。
ルーベンス、フラゴナール、ボッティチェリがある豪華な邸宅と解説されています。
イタリア、ペリュージアの画家ピエトロ・ヴァヌッチ展をやっていました。
ラファエロの先生とも見なされる画家で誠に繊細な綺麗な聖母像を残しています。
ルネッサンスの美しさを堪能できました。
この展覧会がここで行われていたのは知らなかったのでこちらは全くラッキー!!!ということでした。
本日の運不運、五分五分、捨てる神あれば拾う神有り、
まだまだ運に見放されてはいないようです。
良かった、の一日です。
14-032 フランス通信(3)
2014.09.10
14-032 フランス通信(3)
西へ行く
西部劇(ウエスタン)ではありませんが、パリから西(ウエスト)へ行ってみましょう。
パリの地図を見ると東から西にセーヌ川が流れており、
その流れに沿って右側つまり北側を右岸と呼び、左側南側を左岸と呼びます。
真ん中のおへそのシテ島にはノートルダム寺院があり、第1区を基点として時計回りに2周半する20の区があります。
右岸には2、3、4 そして 8、9、10、11、12 そして 16、17、18、19、20 の13の区があり、左岸には5、6、7、13、14、15の6の区があります。
左岸はソルボンヌ大学で象徴される学生街の雰囲気が強い地域で、右岸は大統領府エリゼー宮やビジネスセンターという地域です。
さてここまでは前置きで、このパリ市の南北の区分から東西のイメージを簡単に書いてみましょう。
パリもパリ市から外へ郊外へと発展していったのですが、
東と西で大きくイメージが違います。
東はフランス革命の発火点になったバスティーユ牢獄があるように民衆・労働者の勢力範囲で、郊外には労働者階級向けの集合住宅が林立して、外国人労働者の多い地域です。
それに反して西に向かうとベルサイユ宮殿があります。現在も富裕層が多く住む地域です。
この線は1835年にできたようです。
途中の小さい駅は停まりませんが、デファンス、サンクルーを通ってヴィルダヴレーに着きます。ベルサイユの前の駅でここが目的地です。
豊かな自然のなかの余裕のあるレジデンスが広がっています。フランス・パリのブルジョワの富の蓄積を感じさせます。
パリの地政学についてちょっと書いてみました。