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会長ブログ

月別アーカイブ: 2018年9月

18-055 「高津高校」100周年

 

今年は周年事業が多い

おめでたいことだ

同窓会も小中高あって高校は100年を迎える

寄付集めも大変のようだが目標には達するようだ

高校のご紹介だけしておこう

 

 

名門高校 なんだそうだ

 

 

 

ぼくらが在籍した頃は安保騒動で授業そっちのけ デモに行ったのが思い出として残っている

18-054 詩の季節 文字の形 詩の形

 

 

 

 

 

 

 

ミラボー橋の下 セーヌ川は流れる・・・

 

あー パリ! パリ!

18-053 雨ニモマケズ 風ニモマケズ 宮沢賢治の季節

 

台風にも負けず地震にも負けず雷にも負けず放射能にも負けず

そしてなんいよりも親父に負けないで頑張った宮沢賢治像

 

父には息子を先に亡くした悔いが残る

 

秋 詩の季節 死の季節

 

「父と暮らせば」

 

宮沢りえ ってこんなに魅力的でしたっけ?

たまらなく惹かれました

 

この世とあの世を文句なく行き来できそうな雰囲気です

あの世から時々帰ってくる原田芳雄お父さんの気持ち よくわかります

 

原爆 どうしましょうか?

名匠・黒木和雄監督が『TOMORROW 明日』『美しい夏・キリシマ』に続く戦争レクイエム三部作完結編として井上ひさしの同名戯曲を映画化

取り組んだ原爆投下から3年後の広島
愛する者達を一瞬の閃光で失い、自分が生き残っていることに負い目を感じ続けている美津江(宮沢りえ)の前に、原爆資料を収集している木下(浅野忠信)が現れた
彼に心惹かれながらも恋心を押さえつけようとする美津江を父(原田芳雄)は常に励まし続ける

出演者は3人(戯曲では父娘のみだった)というシンプルな構成
広島弁での父娘の心和む会話を連鎖させながら原爆の悲劇を機軸に切なく悲しい・・・
飄々とした父を好演する原田と清楚な美しさを自然に体現する宮沢とのコンビネーション

井上ひさし原作の同名小説を黒木和雄監督が映画化
原爆から生き延びた娘と被害に遭い幽霊となった父親の交流を描く
宮沢りえ、原田芳雄、浅野忠信

18-051 「キューバ」について見つけたもの
バルボンの名前を見つけた
バルボンって知りませんか?
知らないでしょうね

その当時もそんなに有名でなかったけれど・・・
阪急ブレーブスのファンでした
負けてばっかりでその中梶本とか米田とか豪速球投手がいて活躍していました
判官贔屓みたいに依怙地になっていました

黒人バルボンさん 珍しかったのですが
今にして思うとなんで日本で野球してたのか興味が湧きました

調べてみると分かったのは
11人兄弟の末っ子として生まれたバルボンは1954年にマイナーリーグで1年間プレー
その後「日本は温かい国。キューバと気候はあまり変わらない」という代理人の言葉を鵜呑みにして
翌1955年に阪急ブレーブスに入団来日
(解説の「鵜呑みにして」という表現がこれまた面白い)
来日当初は唯一口にあったチキンライスを毎日食べていたという
(チキンライスがあってよかった)
来日1年目からシュアな打撃と49盗塁を武器に活躍
1958年−1960年3年連続盗塁王
1965年近鉄バッファローズに移籍 同年限りで現役引退
その後は神戸でステーキ屋を経営
1974年から2年間(1974年は一軍、1975年は二軍)は阪急でコーチを務めた

性格が明るく「チコ」と呼ばれて親しまれた
当初は3年で帰国しようと考えていたものの祖国でキューバ革命が起こり
(キューバ革命の影響を受けたんだ)
冷戦終結までの間帰国が困難になったこともあって引退後も日本で生活を続け
日本語(関西弁)もマスターした
(『関西弁』なる外国語?)
結局1955年の来日後キューバには1回しか帰っていないという
この時唯一帰国できたのは1988年に広島東洋カープがキューバ野球を視察する際監督山本浩二が特別通訳として同行させる計らいにより実現
ボビー・マルカーノが阪急に入団した1975年スペイン語通訳の仕事で阪急に復帰
以後も阪急・オリックスを通じて球団職員として勤務
現在はオリックス・バファローズが運営する少年野球教室「オリックス・ベースボール・アカデミー」顧問

人情味ある人生のような気がするのですが・・・

 

もう一人 目を引いたのが

アンディ・ガルシア
父親は弁護士母親は教師
カストロ政権を逃れるためアンディが5歳のときアメリカに移住 帰化
高校時代はバスケットボールの選手であったが肝炎を患いスポーツ選手は断念

いい俳優だと思います

他は
ペレス・プラード (アー マンボ!)くらいですが
出てくる名前はプロ野球選手ばかり
今もそうでしょうが野球でアメリカから外貨を稼いでいるようです

あとは世界遺産のこと
キューバ国内にはユネスコ世界遺産に登録された文化遺産6件自然遺産2件があるそうです

ハバナ旧市街と要塞群 – (1982年、文化遺産)

トリニダードとロス・インヘリオス渓谷 (1988年、文化遺産)

サンティアーゴ・デ・クーパのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城(1997年、文化遺産)

ビニャーレス渓谷 (1999年、文化遺産)

キューバ南東部 コーヒー農園発祥地 (2000年、文化遺産)

アレハンドロ・デ・フンボルトこく里う公園  (2001年、自然遺産)


シエンフェーゴスの都市的歴史地区  (2005年、文化遺産)

統計によると、2017年時点でキューバ国民のネット利用率は38%

 

 

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