30-087 人類 ホモサピエンス とは何か
2018.11.4
30-087 人類 ホモサピエンス とは何か
それを調べるには、地上にいた古人類がなぜかすべて死に絶えている以上、DNAの遺伝情報がわれわれにもっとも近い類人猿を研究するほかはない・・・
テナザザル科四属からなる小型類人猿ー
そして四種の大型類人猿ー
チンパンジー
ボノボー
ゴリラー
オランウータンー
進化の途上において、彼らとヒトは同じ生きものだった時期が存在した。
その生きものを「共通祖先」と呼ぶ。
もちろん、どの時点に置ける共通祖先も現存していない。
それが、どういう生きものだったのだかは、わからない。
だからこの「共通祖先」のことを総称して、失われた類人猿の一族ーロスト・エイプと呼んでみよう。
ロスト・エイプがたどった進化の終着駅、それは言うまでもなく、われわれヒトである。
そしてヒトにつぐ高みに、チンパンジーとボノボがいる(この二種は同格なので、以降、チンパンジーに焦点を絞って話をつづける)。
同じロスト・エイプからヒトとチンパンジーが分岐したのは、推定1000万〜600万年前。
ここでか700万年前としよう。
700万年前。このときヒトとチンパンジーは、ロスト・エイプから分かれている。これが進化の物語のなかでもっとも巨大な裂け目のはじまりだと言われている。ヒトと類人猿を隔てる、とてつもない距離の原点。つまり「言語」を持つものと、持たないものの分かれ道のことだ。われわれは話し、類人猿は話さない。
だが進化の物語のなかには、もう一つの巨大な裂け目が隠されている。「言語」につぐような、深い谷間が。
テナガザルとオランウータン。この二種のあいだで、それは起きている。
1900万年前にロスト・エイプから分岐したテナガザル科。
1500万年前にロスト・エイプから分岐したオランウータン。
彼らを隔てる進化のルート上に、別の巨大な裂け目が存在しているのだ。
それは何か?
その正体を知るには、複雑な脳波測定機に頼ったり、遺伝子ラボにこもったりする」必要はない。
どこにでも手に入るもの、それだけを用意すれば良い。
それは、鏡だ。
われわれにとって鏡とは何か。
赤ん坊をのぞけぼその説明は不要だろう。
ヒトのほとんどは、鏡に映る自分の像を、一日に数回見て生きている。
個室。
洗面台。
浴室。
トイレ。
コンパクト。
車のバックミラー。
これらの場所に置かれた鏡に映るのは、自分自身の「鏡像 きょうぞう」である。
鏡像がなければ、われわれは自分の顔を見ることができない。
したがって、免許証
、社員証、各種IDやSNSに使われる「顔写真」も、鏡像の一種である。「自撮り」という行為がある。
その行為の中で、危険な場所に行き、より刺激的な自分自身の鏡像を手に入れようとして命を落とす、という事故が起きる。
それらの人々は、戦地に赴いた報道写真家ではない。
ただ、自分の鏡像を得ようとして、死に至るのだ。
こういうことが起きるのは、ヒトに自己鏡像認識の能力があるためである。
ヒトはおよそ一歳半から二歳までのあいだに、自己鏡像認識を獲得する。
そして、その瞬間を覚えているものはいない。
この私にも、鏡のなかの自分を「ノゾム」を呼んだ決定的瞬間があったはずだが、まったく記憶がない。
というよりも、自己鏡像認識を得る以前の記憶そのものがない。
・・・
小型類人猿において共通している。
では、大型類人猿はどうだろうか。
彼ら四種、すなわちチンパンジー、ボルボ、ゴリラ、オランウータンは、いずれも自己鏡像の能力を持つ。
・・・
人類に連なるロスト・エイプがたどってきた道を俯瞰する。
すると、大変に興味深いことがわかる。
1900万年前に分岐したテナガラザルには、自己鏡像認識がない。
1500万年前に分岐したオランウータンには。自己鏡像認識がある。
これによって、自己鏡像認識とは、1900万年前には鏡は存在しなかってのである。
簡単な話だ。
1900年前から進化していないテナガザルを見ればよい。
彼らはマークテストをクリアしない。
鏡に何が映っているかのかわからない。
鏡像を理解できなければ、鏡はないのと同じだ。
・・・
認識についてだけでなく、じっさいの「物」という意味でも、1900万年前には、われわれの知る鏡は存在しない。
これは当然の話だ。
ガラスの鏡は、十四世紀のベネチアでははじめて作られた。
では、とてつもなく遠い過去、1900万年前の鏡とは、いったい何だったのだろう?
それはまず、川、海、湖、そして雨が去ったあとの土のくぼみに残された水たまり、つまり「水」だっただろう。
・・・
そこにロスト・エイプの顔が映っている。
だが、まだ鏡は存在しない。
それが誰の顔なのかは、誰にもわかっていない。