15-016 アメリカ視察ツアー2015 報告 その7
2015.08.10
15-016 アメリカ視察ツアー2015 報告 その7
2015年7月15日(水)
テキサスからルイジアナへ
ルイジアナとは?
これまたアメリカでは特殊な州
フランスの臭いがプンプンするところ
フランス好きとしては
ルイジアナへ入るまでに 一言講釈しておかなければならない。
ウイッキペディアから抜書してみよう
ルイジアナは1643年から1715年まで君臨したフランス王ルイ14世に因んで名付けられた。ロベール=カブリエ・ド・ラ・サールが、ミシシッピ川の流れるこの領域をフランス領と宣言したときに、ルイの土地を意味するラ・ルイジアーヌ(La Louisiane)と名付けた。フランス領ルイジアナはフランス植民地帝国の一部として、現在のモービル湾からカナダとの国境の北にまで延び、カナダ南西部の小部分を含んでいた。
ルイジアナとは、フランス国王の土地という意味
ウイッキペディアから抜書
1722年、フランス領ルイジアナの首府をニューオーリンズ市(フランス語でヌーヴェル・オルレアン、つまり新オルレアン)に移した
カナダ東部沿海アカディア植民地(現ノヴァスコシア州、ニューブランズウィック州とプリンスエドワードアイランド州)のフランス系住民は、1765年に英国王に対する忠誠表明を拒んで強制追放され、ルイジアナ南西部の現在アケイディアナと呼ばれる地域に大挙して移住し、ルイジアナのフランス系人口を飛躍的に増大させた。これらアカディア人の子孫はケイジャンと呼ばれている。
スペインを支配したナポレオンは1800年のサンイルデフォンソ条約(英語版)で、ルイジアナをスペインから取り戻したが、これはその後2年間秘密にされていた。1803年、ナポレオンは財政上の必要性などからアメリカ合衆国に売却した。
4月30日、総面積828,000平方マイル (2,145,000 km2) のルイジアナ全土を、6,000万フラン(約1,500万米ドル)で購入する契約を行った。支払額の一部はフランスが既にアメリカ合衆国から借りていた負債で相殺されることとした。支払いはアメリカ合衆国の公債で行われ、ナポレオンはそれを額面価格でオランダのホープ・アンド・カンパニーに、また100ドルにつき87.5ドルの割引価格で、イギリスのベアリングス銀行に売却した。最終的にフランスがルイジアナの代償として受け取ったのは8,831,250米ドルに過ぎなかった。イギリスの銀行家アレクサンダー・ベアリングはパリでマルボワと会合し、アメリカ合衆国に行って公債を回収してイギリスに運び、現金にしてフランスに渡した。ナポレオンはこの金でイギリスに対する戦争を始めた。
1803年10月20日、アメリカ合衆国上院はルイジアナ買収を批准した。
ルイジアナ州ならびにニューオリンズについてのレクチャを受けた
特に ニューオリンズで起こったカトリーナ被害並びに復興の様子を聞いた
マイケル氏は、ニューオリンズの経済発展に尽力
- ニューオリンズで起こったカトリーナ被害は人的災害とも呼ばれている。 工業用水路が逆流し堤防が決壊したことで大規模な被害になったと言われている。 当時、ニューオリンズはカトリーナ被害により、終わった都市と囁かれた。
- しかしながら、アメリカ政府が、資金として140兆円を投入し、最優先で 復興に力を入れたおかげで急速に道路、水路等が整備され、2003年~2014年に おいて全米でニューオリンズが成長率NO1となった。
- ニューオリンズには、川、エネルギー、文化が融合された都市であったため、 このような成長が遂げられたと言われている。 ニューオリンズでは3つの産業が急速に成長した。それは ①ロケット開発 ②国際貿易(400%の成長) ③エネルギー産業
- その他にも、ソフトウェア、水を管理する技術などが成長している。
- 現在、ニューオリンズの人口は、カトリーナ被害後、85%まで回復している。 (44万人→38万人) 教育の向上が目覚ましい都市となり、全米屈指の教育都市に なりつつある。
- 自然は戦うものではなく、共有していくもの
ニューオリンズはご存知 JAZの街
ニューオリンズ=新しいオルレアン=ジャンヌダルクの街、ルイ王朝の街オルレアン