14-041. 伊坂幸太郎天才論
2014.11.16
最近ブログを書いていないので・・・
秋の夜長、というわけではないが、最近読書に回帰している。
小説を読むのが楽しい。
ノーベル文学賞や文学の話題が聞かれるのは嬉しい。
さて、ここで完全に個人的な文学論を展開しておきたい。
おそらく異論は多いと思うし、なにを言っているのかという方も多いことっと思うが、
あえてツイッターみたいに思いつきをつぶやいて残しておきたい気になっているので・・・
表題に書いたように「伊坂幸太郎」という作家についてである。
「アイネナハトムジーク」という最近作を読んだ。
彼の作品としてすごいものであるとは思えない。
「夜の国のクーパー」や「首折り男のための協奏曲」の方がずっと論じるべき作品だろう。
しかし、彼がこんな作品を書けるさりげなさに返って彼の天才性を感じてしまうのは
彼のファンであるせいだろうか。
臆面もなく言ってしまえば、モーツアルトと同質の天才性を見出してしまうのだ。
軽やかさ、軽佻さ、自由さ、楽しさ。
そこでまたまた独断的方向に走って、伊坂幸太郎と村上春樹の比較論をつぶやいてみたい。
正直、村上春樹をきちんと読んでいるわけでないので印象からだけの話として聞いて欲しいのだが、
村上春樹にはどうも「ぎこちなさ」を感じる、「不自然さ」を感じることが多い。
舞台装置にいろいろブランドものー例えば、カフカ、クラシック曲ーを並べていて、その中を徘徊する登場人物は訳も分からず博物館・展示会場をガイドしているだけのような印象を受けます。
見て、見て、いいだろう、いいだろう、と自慢されているような感じを受けます。
一生懸命作り上げているように思えるのです。
モーツアルトと比べると、こんなことが言えるのかどうか、音楽史音痴の戯言として聞いて欲しいのですが、村上春樹はブラームスとかシューマンとかが思い浮かびます。
是非伊坂幸太郎の楽しさを味わってほしいと思って書きました。
独断と偏見の塊です。