10-092. 「街場のメディア論」
2010.09.14
10-092. 「街場のメディア論」
ベストセラーになっているみたいなので、読まれた方も多いかもしれません。
内田樹(うちだたつる)の最近の著書ですが、
いままでもいくつか読んでいますが、ここで展開されている議論も非常に同意するところが多く、
ちょっと書きぬいておきたい気がしています。
すぐに引用してしまうのですが、
おそらく著者も許してくれるでしょう:
「暴走するメディアがメディア自身を殺す」という箇所で
(引用)
メディアの「暴走」というのは、別にとりわけ邪悪なジャーナリストがいるとか、
悪辣なでまデマゴーグにメディアが翻弄されているとかいうことではありません。
そこで語られることについて、最終的な責任を引き受ける生身の個人がいない、
「自立した個人による制御が及んでいない」ことの帰結だと僕は思います。
「個人として」「最終的な責任を引き受ける」ことができるような内容を、
また、そのような言葉で表現していくように努めましょう。
それと、うまく表現しているなぁ、と思った箇所:
(引用)
社会制度の起源「ありがとう」
勘違いできる能力
何を見ても「これはもしかすると私宛の贈り物ではないか?」と考えることができる
人間的制度の起源にあるのは「これは私宛の贈り物だ」という一方的な宣言なのです。
おそらく、その宣言をなしうる能力が人間的諸制度のすべてを基礎づけている。
ですから、端的に言えば、何かを見たとき、根拠もなしに「これは私宛の贈り物だ」と
宣言できる能力のことを「人間性」と呼んでもいいと僕は思います。
引用ばっかりになってしまいました。