27-003. うごくもの うごかないもの 平成27年1月号
2015.01.15
27-003. うごくもの うごかないもの 平成27年1月号
毎月15日のお騒がせ。
よろしくご笑覧ください。
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うごくもの うごかないもの
─ 人・企業・不動産 ─
平成27年 1月号
まぐまぐ ID 99461 (KS)
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◆ 序の章
◆ 第一の章 外国との交流
○第一回巴里カフェ ○日本風正月の「お・も・て・な・し」 ○CHARLIE
◆ 間奏の章
○ 「老人力」
◆ 第二の章 圧力・重力の世界
○重荷 ○体を鍛えておけ! ○ 政治は人
◆ 余の章
○和食と中華料理 300年前のお話
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◆ 序の章
まずもって 明けましておめでとうございます。
つくづく年の瀬を越せたということをありがたく思うようになりました。
正月というのはおめでたいのかどうなのか、何がめでたいのか。
子供の時に感じたような晴がましいさ・凛とした感覚は失われてしまいましたが、
それでもなんとなく一年の出発点、これからゼロで始められそうな期待感は持ちます。
年齢とともに正月に生きてていて死を痛切に意識する側面もあります。
神社仏閣をお参りする機会が有り、日常世界と次元の違う世界に触れるからでしょうか。
仕事や職業や地元といった日頃の関係のある人とは異なった人たち、地域も世代も違った人たちと
久しぶりに会ったり、初めて会ったりすることになります。
社会的地位とか立場とかが空中分解し、ひとりの人間、裸で生まれてきて、裸で死んでいくひとりの人間というものが、
家庭の中で垣間見られる瞬間のような気がします。
その意味でなんとなくお尻がムズムズする日々であったように思います。
◆ 第一の章 外国との交流
12月の後半から1月の前半にかけての我が家のテーマはやはりフランスでした。
(そしてそれを通じての外国、日本と違った国・感受性との交流がテーマでした)
○ 第一回巴里カフェ
昨年9月パリに1月の長期滞在をして今までの旅行と違った感じを持って帰ってきたことは既に書かせてもらいました。
その延長上で12月18日には「巴里カフェ」と称してその思いをなんとかうまく伝えたいと思い
お知り合いの方に集まってもらって、第一回目の会合を開催しました。
45年ほど前に初めてパリへ行って滞在していた時のことから
パリの人の生き方・考え方・感じ方、日本人とどんな風に違うのだろうかといったことを
一緒に考えられたらというのが狙いです。
新しいパリ、古いパリ、変わらないパリ、変わるパリ・・・
そしてフランス・・・
あまりうまく意図が伝えられたか自信はありませんが
パリへ行って初めて「自由」とか「生きている」とかという感覚を得たという個人的な体験を伝えたいのですが
何回もいろんな話をしながら時間をかけてやっていきたいと計画しています。
次回二回目の予定を2月19日(木)と決めて発表しました。
ライフワークにするつもりです。
○ 日本風正月の「お・も・て・な・し」
暮れから正月休みの期間、義理の妹(フランス人)が娘と二人で日本・大阪・八尾に滞在しました。
もう何回目かの八尾滞在ではありますが、正月は初めてということで、
日本の正月のデモンストレーションを我が家庭で行うことにしました。
正月といっても普段はその渦中にいて意識しないことも多いのが本当のところです。
正直寝正月が主なアクティビティで、今まで何ら不都合もありませんし、平均的一般日本家庭として違和感もないのですが、
今年はちょっと張り切って(見栄を張って)、日本のお正月を「お・も・て・な・し」してみようなんて考えました。
お節料理を作って食べさせてあげよう。
年越し蕎麦を作って一緒に食べてみよう。
もちろんお雑煮を食べさせねばならないでしょう。
お餅搗きを企画してみました。
何十年も前には我が家で石臼で餅搗きをやっていましたが、それも今は遠い昔のことです。
代わりに考えられることは・・・
日本の電機メーカーの実力を見せることができるでしょう。
わがパナソニックの餅搗き機を買いました。
見事!
クルクル回りながら餅米がお餅になる様はFACEBOOKにムービーで載せる価値アリの優れものです。
初詣では大阪での一番有名な住吉大社に行きました。
人でいっぱいの太鼓橋のふもとで、
タコ焼き・鯛焼き・イカ焼きを立ち食いしながら、海の安全を祈願いたしました。
まことに結構な日本のお正月でありました。
○ CHARLIE
クリスマス、お正月と続いたお祭り気分・安息は急遽暗転、
言論の口封じに狂信的な原理主義者の銃弾がパリの街に鳴り響き、
恐怖と悲しみに陥れられました。
個人的には、宗教も政党も徒党を組むのには違和感を覚えます。
自分で考え、自分で発言すべきです。
何億の人の考えとして意見を述べることなどよくできるものだと思います。
省みて我が生野区猪飼野のことを考えました。
紅白歌合戦を聴きながら、
最近読んだ「僕たちのヒーローはみんな在日だった」朴一著に登場する有名人の苦労話に
日本での差別はどうなっているのか何も知らない自分に気がつきました。
暗黙のうちに言いたいことが言えない社会が出来てしまうのは困ります。
自分で自粛してしまうようになっては困ります。
まして外から圧力をかけられるのは一層御免御免こうむりたいものです。
◆ 間奏の章
○ 「老人力」
「老人力」の理論家、赤瀬川原平氏が
昨年10月26日77歳で亡くなっています。
(2015年1月9日の日経夕刊に追走録が出ています)
我れらが野坂昭如の「ザ・平成唱歌集」に一番最初に載っている唱歌が
「赤瀬川夜曲(老人力の歌)」です。
ぜひ、ごゆっくり味わっていただきたいと考え
ここに再録いたします。
ここは故郷(ふるさと) 何百里
夕陽に染まる 赤瀬川
時の流れに 棹さして
オンボロ船の 川下り
ROW, ROW, ROW・・・
体はきしみ 目はかすみ
神の恵みぞ 日々あらた
LET’S BE THOMASON!
LET’S BE THOMASON!
われら 老&老ーーー
サクラ散る散る 夢の果て
あの日の少年 いまいずこ
遊び呆けて ふだらけて
忘れの海へ 舟送り
ROW, ROW, ROW・・・
体はきしみ 目はかすみ
神の怒りぞ 日々あらた
LET’S BE THOMASON!
LET’S BE THOMASON!
われら 老&老ーーー
うすらあけぼの はだ寒く
やさしきあの掌 去年の雪
孤独孤独の 爪のびて
マンネリ介護 ありがたや
ROW, ROW, ROW・・・
体はきしみ 目はかすみ
神の怒りぞ 日々あらた
LET’S BE THOMASON!
LET’S BE THOMASON!
われら 老&老ーーー
われら 老&老ーーー!
◆ 第二の章 圧力・重力の世界
○ 重荷
日本社会の最大の話題は次世代への承継の問題ではないでしょうか。
相続についてどれだけ多くのことが語られていることでしょうか。
金融機関、税理士、政府などなど・・・
政党についても一番年寄りの政党が次世代の党という名前を付ける皮肉な現状です。
どのようにして次世代に承継していくのか誰も分からず暗中模索といった感があります。
この問題に関して一番閉塞感を感じさせる点は、
渡そうとする世代は素晴らしいものを手渡そうとしているという意識があるのに反して
受け取ろうとする側はどうもそれほど喜んでいないということなのではないでしょうか。
出来上がったものをこれからも継続していかないといけない、
ある意味「重荷」を課せられるといった感覚になっているのではないでしょうか。
全然楽しくない、ということになるのでしょう。
贈与税を払わないで贈与をするには、住宅に使うのか教育に使うのか、
そんな個人の自由や嗜好を無視して、
建築業界や官僚エリート教育養成にだけ資本を投下しろと国民に要求するような政策はまったくナンセンスで、
一律10%で好きなように贈与させれば消費はいくらでも拡大し
消費税を10%にしたって文句は言われれないだろう。
贈与がたくさん行われれば贈与税による税収は格段に増えるでしょうに・・・
税金・贈与税について常々疑問に思っていることがありますので
専門家の方々にお教えいただきたいのですが、
日本にはもともと「お年玉」という伝統的贈与制度がありますが
お年玉に110万円あげた人がいた場合税務署からなにか指摘を受けた例はあるのでしょうか。
100万円ではどうなんでしょうか。
50万円をお年玉で上げるのは問題があるとは思えませんが・・・
○ 体を鍛えておけ!
極めて知的な映画作品で、最近を二作「LUCY/ルーシー」と「猿の惑星:新世紀(ライジング)」見ました。
スカーレット・ヨハンソン演ずるところの女主人公はひょんな偶然から10%しか使われていない脳を100%覚醒させてしまいます。
そのとき彼女が悪の集団を壊滅させるために一人銃を持ち立ち向かうこととなります。
ちなみに猿が二本足で立ち上がって人間へと進化していく最初の猿の名前が「LUCY」です。
一方「猿の惑星:新世紀(ライジング)」はもともとフランスの作家ピエール・ブウルの小説が映画化され
シリーズのように続いています。
今回のお話は、リーダー、シーザーの下森の中平和に暮らしている猿たちのところに人類がやってきて
両者が敵対関係に陥ることになります。
猿のリーダーを決めるのに悪者コバとシーザーが対決することになります。
猿たちは強いものに従う、というわけです。
この二つの映画を見て不思議に思ったのは、
非常に知的な映画なのに、結局「最後は肉体が物を言う」という設定です。
ローマ帝国をリードしたシーザーは一番の剣闘士ではなかったでしょう。
議場での説得力ある演説がその武器だったと想像するのですが
猿のリーダー、シーザーはその知的能力では猿族を統治できず
この映画製作者によれば、身体能力がその拠り所になっているという設定です。
リュック・ベッソンという「LUCY」のフランス人の監督の名前を見つけて
この映画の舞台がパリであるだけでなく
全体にフレンチ・テイストが感じられましたが
この二作で戦争、戦いというものは結局陸軍の肉弾戦、兵隊の消耗戦なんだなぁ、という思いを深めました。
○ 政治は人
宗派はキライ、政党もキライ、
それでも政治というやつがあって
アッチにするかコッチにするか、決めていかないといけないのだろう。
拠るところは「人」ではないかと思うようになりました。
政治家を続けるためにいろいろ変わる人がいるようだ。
そんなのは言語道断。
しかし意見を持って変わるなら、
それはそれでいい。
人は変わるからいい。
きちんと変われる人はいい。
きちんと変わらない人もいい。
◆ 余の章
○ 和食と中華料理 300年前のお話
台湾旅行に行って鄭成功に興味を持った。
鄭 成功(てい せいこう 1624年8月27日ー1662年6月23日)は、中国明代の軍人、政治家。日本名は福松。
清に滅ぼされようとしている明を擁護し抵抗運動を続け、台湾に渡り鄭氏政権の祖となった。
俗称を国姓爺。台湾・中国では民族的英雄として描かれる。
オランダ軍を討ち払ったことから台湾では、孫文、蒋介石とならぶ「三人の国神」の一人として尊敬されている。
(ウイキペディア)
近松門左衛門の「国姓爺合戦」を抄録で読んでみた。
竹本座で演じられたのがちょうど300年前1715年のことのようだ。
台湾では我々ももっぱら中華料理を食べたが、
国姓爺の母親は中国で囚われるが、口に合う食べ物を問われて、
「竜眼肉のお飯、鶩(あひる)の油揚げ(お汁)、豚の濃漿(こくしょうー味噌汁)、羊の浜焼き、牛の蒲鉾(かまぼこ)」といった料理を
「ああ、けがらわしい、そんな物はいやだいやだ。縛られて手も自由にならぬ。
ちょっと握飯(むすび)をしてくれ」と答えた。
そこで、中国の腰元たちはよく分からずこんなふうに考えて申し上げたそうな:
そのむすびという食い物は何のことやら、どうも得心なりませず、
皆打ち寄って吟味いたしますと、日本では相撲取りをむすびと申すそうです。
それゆえ方々尋ねてみても、ちょうど折が悪く、お歯に合いそうな相撲取りが売り切れです、と。
(「近松門左衛門」角川ソフィア文庫p159)
和食の究極が「おむすび」というのはどこか別のところでも聞いたことがあるような気がする。
コンビニでおむすびがよく売れるわけだ。
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