27-038 「杉の実だより」 第75号アップしました
2015.10.28
杉の実だより11-12月号をアップしました。
一度、のぞいてみてください。
27-036 「杉の実だより」平成27年11月-12月号 送付開始
2015.10.27
25-036 「杉の実だより」平成27年11月-12月号 送付開始
10月の月末隔月発行の弊社ニュースレター「杉の実だより」平成11月-12月を郵送することができました。
お手元に届いていない方、あるいは新たにご希望の方はご遠慮なくお申し出ください。
お送りさせていただきます。
27-035 「うごくもの うごかないもの」 平成27年10月号
2015.10.15
25-035 「うごくもの うごかないもの」 平成27年10月号□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
うごくもの うごかないもの
─ 人・企業・不動産 ─
平成27年 10月号
まぐまぐ ID 99461 (KS)
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
この9月から10月にかけてぼくの心に一番引っかかったことを書き連ねてみましょう:
まず、肉体です。
命、死、時間と空間のことです。
次に、男と女のこと。人間の基本的な問題であり、肉体とか命とか死とかと密接に結びついています。
フランスのことを語りたくて、また最近の国際情勢・国際紛争を語ろうとして、国・都市そして民主主義というテーマにぶつかりました。
国というのがどのようにして成り立っているのか、国とはないか、そんな問いかけです。
そして、グローバルについて考えます、感じます。何がつながっているのか。本当にわれわれはつながっているのか。つながるというのは?
「うごくもの」として映画について蘊蓄を傾けたい。語りたい。薦めたい。
○ 肉体のこと
命、死、時間と空間
1) 敬老の精神
敬老の日が終わりホッとしている。
シルバーウイークなるものも過ぎ去り静かになるのはご同慶のいたりである。
「敬老する」ことについては意義はない。
お年寄りを敬うのはいいことだ。
私もさようにいたしております。
しかし「敬老される」のはどうも鬱陶しい。
「敬老」はするものであってされるものでないような気がする。
最近周りのみんなから優しくされる。
気を使ってもらう。
気を使ってもらっているのが分かってしまう。
猫なで声で大きめの声で話しかけられる。
見るからに「私優しいでしょう」とマニュアル通りの行動が透けて、自己満足の笑顔が隠れて見えてしまう。
(これは年寄りの僻みだ!おそらくそうだ!)
外から見ると私は年寄りなのだろう。
そして中身も年寄りなのだ。
今日医者に言われた:
若返りの薬はありませんからねぇ。
2)気になる太腿
細くても太腿と言うのだろうか。
細い太腿や太い太腿。
腿では満足できず太腿という言葉を作り出した感受性の持ち主がいたのだ。
分かるような気がする。
和英辞典、英和辞典、和仏辞典、仏和辞典で「腿」「太腿」を引いてみる。
thigh、cuisse 同じ言葉しか出てこない。
すると、太腿はやはり太くなくても太腿ということにあなる。
だけど、やはり結論は「太腿はやはり太い」。
そして、やはり太腿が気になる今日この頃である。
3)エディット・ピアフ
エディット・ピアフの歌には肉体の存在を感じます。
そしてボクシングには肉体が必要だったでしょう。
(もちろん「愛の賛歌」の対象となったマルセル・セルダンのことを言いたいのです)
142cmのピアフがこれまたアルメニア系の小男のシャルル・アズナブールの才能を見出した。
ナポレオンやサルコジ、フランス小男の系図がある。
ラグビーのワールドカップでの日本の活躍には心わくわくさせられた。
強固な肉体のぶつかり合い。
戦争ごっこそのもののスポーツと呼ばれるゲームに眠れぬ夜を過ごす破目になる。
この対照がぼくの心の中で面白い。
結局戦いは肉体によって行われる。
肉弾戦なのだ。
4) 命の洗濯、髪の毛の観察
行きつけの近所の散髪屋が休業のようなので駅前の散髪屋に飛び込んだ。
床屋といった感じの旧来のお店で2階に上ると客はなく年配のおかみさんがいた。
座らされると隅っこから亭主らしきのが出てきて散髪してくれた。
個人経営の店はたいていそんな感じだが、亭主はカット、おかみはひげそりということになっているようだ。
(これは法律で決まっているのだろう)
最終段階おかみがわたしの髪を整えながら、ふさふさしていますねえ、みたいなことを言った。
おあいそうだろうか、斜めに店主の頭を斜めにうかがうと、
うーん、真中からかなり禿げている。
周辺の残っている髪の毛は黒いが・・・
まぁ死ぬまで禿げてしまうことはないかもしれませんなぁ、と幸運を喜んで彼女に礼を言った。
そんな会話に勇気づけられて床屋を後にし、Mandaiの横を通って帰路についた。
おもちゃ屋の前を通ったらそこの主人が出ていた。
子供たちが小さいときにはよく来たが、もう何年も顔を見たことがない。
久しぶりに拝顔したが彼の頭にも年月の流れ跡が見受けられた。
グレーという色に移りつつあるだけでなく、真中からかなり広い範囲で丸く浸食されていた。
しかし、しかし・・・
振り返って自分自身を外から見れば、おそらく・・・
せっかく得た元気が半減してしまったそんな土曜日散髪屋放浪記でした。
5)妻と離れて死と生を思う
まず 名句:
愛妻の 里帰りより 戻りたり
出迎え 嬉し 秋晴れの空
朝迎え 秋を深める 柿の色
秋、柿、季節も気持ちもそろそろそんな時期。
妻がいなくとも生きていくためには食べていかなくてはならぬ。
人の性である。
料理を始めてみよう。
料理事始
ライフへ行って茄子と大根とじゃがいもと白菜を買った。
さぁこれからどういう風に料理するかゆっくり勉強しよう。
時間はたっぷりある。
女もするという料理なるものをしてみよう。
浮世の思い出に。
料理失敗談を語ると友人がアドバイスをくれた、とにかくオイスターソースを買えと。
もちろんすぐに西友で買いました。
さあこれで万全。
今夜は美味しく食べられるぞ~
妻なしで生きていくぞ!
(しばらくの間なら)
○ 男と女のこと
フランスのことを語る「巴里カフェ」 11月 にむけて フランス革命とナポレオンの勉強を開始した。
まず基本文献として池田理代子作「ベルサイユのばら」から読んだ。
すごい作品である。
よく勉強している。
歴史の勉強になる。
物語としてもよくできている。
波乱万丈、ワクワク、ドキドキである。
すべての人にお勧めです。
この複雑な奥深い物語から一つの疑問が湧いてきた:
オスカルはどうして女なのだろうか。
どうして女でないといけないのだろうか。
ということである。
マリーアントワネットとフェルゼンの二人を愛するため?
オスカルはレスビアンなのか?
「性」の問題はいつもどこでも悩ましいものです。
○ 国のこと 民主主義のこと
市民と国民、市議会と国会の仕組みとその違いについて話しを聞く機会があった。
市会議員選挙と国会議員選挙とは根本的に違うらしい。
市民生活にかかわる市会議員とそれを選ぶ選挙があるとすれば
国会議員選挙は国民生活にかかわる選挙ということになる。
国民生活とはなにか?
こんな生活があるのかどうか。
市民生活を守る、という、何から守るのか?
国民生活を守る、何から守るのか?
市に住んでいるから市民と呼ばれるのかと思うと、そうではないようだ?
市民という概念と国民という概念はどう結びつくのか、一緒なのか。
おそらく市民というのは市民革命とか民主主義とかとリンクしているだ。
そしそうだとすると、市民を守る、市民生活を守るとは、市民に過大な税金を課すのを阻止することだろうか。
国民というのが国家と結びついているとすれば、「国」「国家」ができたのは歴史的にいつのことなのだろうか。
何があれば「国家」といえるのだろうか。
イスラム国は「くに」なのか。
「税金を徴収する」ことがその要件だとすれば、暴力団の上納金はその要件をみたしているのだろうか。
暴力団は国家への第一歩なのだろうか。
テレビを見ながら考えた。
政党の資金集めのパーティに何百人、何千人も多くの人が参加してお金を出していく。
毎日何万という観客が毎日野球を見に、サッカーを見にスタジアムまで電車に乗って行く。
ところが選挙のための集会にはなかなか人が集まらないようだ。
10人の単位、100人の単位、1000人の単位、10000人の単位。
数というのは面白い。
野球のチームは9人、それに控え選手。サッカーは13人、ラグビーは15人。
しかし監督はひとり。
国の運営を考えた時、独裁者は必要なのだろうか、と自問する。
基本的に頂点に立つもの、決定するものは、必然的に独裁者なのだろうか。
そして、独裁者は独裁者であることを意識しているのだろうか。
独裁者は自分の人生をだれか他の人と比較するものなのだろうか。
モデルはあるのだろうか。
日本の国会議事堂の建物を見て、国はピラミッドを必要とするのだろうか、と自問した。
国は国王を必要とするのだろうか。
国会議事堂の建築は頭にピラミッドをいだいている。
国や政治のことを考えると頭が痛くなる。
そして眠たくなってくる。
さあ、お昼寝の時間だ。
○ グローバルのこと
1) Mea-culpa rugby
ラグビー懺悔
日本中ラグビー・ワールドカップでの日本の活躍に湧いている。
結構なことである。
ラグビーは見るのは好きだが、ラグビーについては人の語れぬ忸怩たる思い出がある。
中学から高校への進学時希望校に入学できたら一緒にラグビーをやろうと約束していた友達(複数)がいた。
幸いにしてみんな試験に受かって同じ学校に入学した。
彼らはラグビー部に入った。
僕はなにかグズグズしていた。
それでも確か二年になってから入ったのだろう。
しかし休みには家から学校へ行くのが嫌で休んでばかりいた不真面目な部員であった。
特に冬休みは年末正月に家を離れるなんて、こたつとお餅を捨て木枯らしを選択するなんて考えもつかなかった。
結局大学進学の受験勉強といった体のいい言い訳を盾に最終学年になる前に逃亡してしまった。
年をとり高校の同窓会では運動部仲間が楽しそうに集まって話をしているが、こちらは小さくなっているしか方法はない。
ラグビー部に入っていたなんて誰にも言えない。
裏口入学して卒業せず中退しているのだから。
この若気の至りというか罪をフランス語を習った時に覚えた単語 Mea-culpa (ラテン語で わが過ちによりて)と心に刻んで今まで来た。
今回この文を書くにあたって辞書で単語を確認した。メアーキュルパ(mea kylpa)と発音するようだ。
ラテン語なのでメアークルパ(mea kulpa)と発音するのだとばかり思っていた。
何十年も辞書を引かなかったということか。
そしてこの文章を書くことによって若い時の不義理を懺悔できたのだろうか。
ワールドカップの興奮から、こんなことを書いてみたくなった。
2)わたしは ふと 疑問に思った。
昔難しい外国の首都を覚える競争をしていたような時期
「ウランバートルホト」といっていたが、
あの「ホト」はどこへ行ってしまったのだろう、
ふと 思った。
3)神戸の美術館でクレーを見た。
昔からクレーは好きだからまあ満足。
しかしちょっと思弁的すぎるように感じられて残念。
線も形も色もタイトルもみんな楽しいのだが、、、
4) 「ハゲタカ外伝 スパイラル」 真山仁
真山仁は注目している作家のひとりで、いつも楽しく読ませてもらっている。
大阪の製造業や銀行の動きが描かれていて、土臭いところがお気に入りの理由の一つである。
この本についても、タイトルは「東大阪市高井田」に変えるべきだというくらい東大阪が舞台になっていて楽しい。
世界につながっていることが分かる。
5)「シナガワ」と「プジョー」
八尾市山本南の山本球場から玉串川沿いに洗濯物を出しに車で走って行った。
高安駅へ曲がる交差点で止まった。
前の車のナンバーが「品川」なので珍しいなと思っていると「PEUGEOT」の文字が目に付いた。
「シナガワ」「プジョー」
世界中つながっているんだ、なんて妙に感心した土曜日の午後だった。
6)「夜の恋人」
Mea-culpaについてフェイスブックに書いたら物知りの友達が書き込みしてくれた。
以下引用:
エディット・ピアフの「夜は恋人」は原題がこれだったんですね。
検索したら出てきました。
科(とが)は我にあり、の思いは人生に陰影を与えます。
題名の「メア・キュルパ」は<宗教上の罪>を指していて、歌詞にはキリスト教の七つの大罪 傲慢・嫉妬・暴食・怠惰・憤怒・色欲・強欲が織り込まれています。
恋をするとこの7つの罪を犯すというのです。
エディット・ピアフの歌は「人に蔑まれてもいい、あなたが望むのなら、またこの罪を犯すでしょう」と歌い上げます。
因みにメアキュルパという読み方はフランス流です。
イタリア語やスペイン語ではクルパという読みです。
ポルトガル語はわからなかったです。
子音もラテン語は古代式のは使われていずに各国流儀だそうですよ。
イタリアではイタリア語訛りのラテン語ですがそれが正統だと言われて面食らいました(笑)
ギリシャにはラテン語のまま移入されていて(xxxxxxxxxxxxxギリシャ文字)という綴りでした。
飲用終わり
○ 映画のこと
「うごくもの」としての映画
この一カ月で見た映画の中から
1) 「BOYHOOD 六才のボクが大人になるまで」
この素晴らしい映画について語るべきことは多いだろう。
10年以上にわたって同じ人間(群)を撮影するという試み。
その肉体的変化変遷を目にするだけで驚異的であるが、映画の内容がゆったり奥深い。
束縛を拒む心の自由。
家族生活、父親のマッチョ振り、アメリカの男らしさ、息苦しさがよくわかります。
アメリカでもテキサスに設定されていて面白い。
先月ヒューストンに行ったばかりなので、こんなドラマが繰り広げられているのだろうかとアメリカ人の日常生活、心理生活をかすかに感じることができた。
お勧め映画です。
2)コンピュータを作った人 アラン・チューング
「イミテーションゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」
「普通の人」と異なった人、マイノリティで周辺の不理解偏見に純真な感受性で対応するアラン・チューニング、天才数学者。
感動的作品、少数派マイノリティへの共感と支持。
物理的戦争の背後に潜む情報戦争の心理学の秘話が描かれる。
こんな話知らなかった、という驚き。
3)「バクウッド」
「バクウッド」という言葉はご存知でしょうか。
インドの映画生産が盛んなのはご存知でしょう。
最近は量だけでなく質も変化しています。
インド映画の楽しさ、陽気さ、歌と踊り、楽天的なストーリー、これらが世界で普遍性を獲得しつつあるようです。
ハリウッドを駆逐して「バクウッド」会心の走りぶりです。
先ずのお勧めは「きっと、うまくいく」
英語の題名は「3 idiots」三馬鹿
ヒンズー語の中で出てくる英語も分かって嬉しい。
All Is well!
現代のインド人・インド社会の工学 エンジニア志向、 学歴重視、 男女の恋愛観結婚感がうかがえて面白い。
「マイ・ネーム・イズ・ハーン」
アメリカでも話題になったらしい。
イスラム教ヒンズー教という宗教問題とテロ問題を取り上げ一人の人間の誠実さを描き出している。
他にもいくつも挙げられる。
「バクウッド」にはまりそう。
日本の中年女性が韓流に魅せられたように
これから日本中の老若男女みんなバクウッドにはまるのではないか。
ブームになるのではないか。
ヒンズー美人の肉感的躍動にノックアウトされること間違いない!
試してみてください。
◎このメルマガに返信すると発行者さんにメッセージを届けられます
※発行者さんに届く内容は、メッセージ、メールアドレスです
◎うごくもの うごかないもの -人・企業・不動産-
のバックナンバー・配信停止はこちら
⇒ http://archives.mag2.com/0000099461/index.html
27-034 HIT不動産の会
2015.10.14
25-034 HIT不動産の会
平成27年10月13日にHIT不動産の会が弊社会議室にて開催されました。
連休明けということもあり参加人数は14名といつもよりは少ない人数ではありました
が、その分参加者お一人、お一人の貴重なご意見や市況等ゆっくりと伺うことができまし
た。情報交換や意見交換も積極的におこなわれ有意義な会となりました。。
27-033 会社設立50周年記念観劇会ならびに会食
2015.10.4
25-033 会社設立50周年記念観劇会ならびに会食
杉浦実業株式会社が株式会社として登記されたのが 昭和40年(西暦1965年)8月2日のことである。
8月2日は初代社長の誕生日に当たる。
今年はあれから50年の節目の年になる。
記念のイベントとしてはフランスへの社員旅行を11月に計画しているが、とりあえず一度お祝いを行いたいということで二か月遅れになったが10月2日に観劇会と会食をした。
大阪の会社らしく、またみんなが楽しめるようにと「なんばグランド花月」での新喜劇の観賞、その後法善寺横丁のカモ料理「「おら鴨」での会食を計画してくれた。
吉本新喜劇特別公演「大坂の陣新喜劇『成安道頓』夢を掘った男」
道頓堀を作る時の大阪商人のお話で面白かったし勉強にもなった。実際の舞台での芸人たちの肉体の動きを目の前にして観客とのやり取りやアドリブを聞いているとプロのすごさにほとほと感心してしまった。
大阪ミナミの夜の賑わいに元気づけられた。
カモ料理は河内鴨の柔らかいお肉、さしみ・七輪焼き・鍋とフルコースで帰りの電車ぎりぎりまで楽しんだ。
久しぶりの会社内の食事会、50周年というだけでなく、楽しく良いノミニケーションの機会になった。