26-053. 「うごくもの うごかないもの」 平成26年10月号
2014.10.15
26-053. 「うごくもの うごかないもの」 平成26年10月号
毎月15日のお騒がせ。
ゆっくりお時間のある時にお読みください。
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うごくもの うごかないもの
─ 人・企業・不動産 ─
平成26年 10月号
まぐまぐ ID 99461 (KS)
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第一章
○ パリ滞在
○ 日本とフランス
○ 次世代への移行
○ ワーキング・ホリデイ
○ 長期滞在
○ 「巴里カフェ」
第二章
○ 「悪の教典」
○ 「レイルウェイ 運命の旅路」
○ 「キングダム・オブ・ヘブン」
○ 神の声 「ノア 約束の舟」と「フィールド・オブ・ドリームス」
○ 「LET IT BE」と「○△□」
○ 渥美清の俳句
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第一章
○ パリ滞在
9月5日から10月4日までパリに滞在したので、まずそのことから書きます。
こんな風に長期に渡りパリに滞在したのは久しぶりで(何十年振りなのだろうか)
いわゆるフランス風バカンスという時間の過ごし方でした。
(フランスでは長い休暇でないと意味がないように見なされている)
前号では「パリ通信」と称してパリのことを少しお話しした。
パソコン、iPad、iPhone(スマホ)を持っていけば世界中つながってしまう。
日本へすぐに報告できる。
些細なことでも瞬時に伝えることができる。
同じ時間系を生きていることを感じる。
シンクロ、時間(クロ)を同じくする。
アナクロ、時間(クロ)が重なり合い交錯する歴史的な空間パリからこれまた歴史ある日本の町大阪へ
情報を発信して、 自分が時間と空間の交点に位置していることに気がつく。
ここでは日本とパリとのつながりでいろんなことができそうな感触を得たので
それを披露してみたい。
○ 日本とフランス
パリおよびフランスは今や空前の「日本ブーム」と言える。
いたる場面で日本が語られる。
なににつけても日本が持ち出される。
ひとつの基準になっている。
フランスから見て、(あるいは現在地球上のいろんな国から見て)、
世界中大変なことだらけである。
アフリカ大陸では、旧植民地の国々でイスラム・テロの脅威のもとに国家が崩壊しかけて
フランスから軍隊を派遣し駐屯させなければならない。
フランスが出発点で母体の「国境なき医師団」はエボラ病原菌で大忙し。
トルコ、イラン、イラク、シリア、クルド、イスラム国の映像が毎日のテレビで放映される。
フランスからイスラム・テロの兵士として参加しているのも多いという。
ウクライナはすぐそこだ。
ロシアへは軍艦を売ったが引渡しができるかどうか。
中国の動向も不安だ。
香港の民主勢力を中国はどう対処するのか。
こんな世界情勢の中辛うじて日本という名は安心だ。
世界中日本料理ブームだし、文化面での共通点も多い。
福島原発、ツナミのことがあるが、フランスは原発の国、
(安倍首相の福島原発 事態はコントロールされているという言は誰も信じていないが)
両国お互いスネに傷持つ身、理解しやすい関係だ。
驚く程の日本ブームである。
日本のことをよく知っている。
日本の情報もよく入手している。
ただ気になったのは、日本人が外国人にこんな風に日本を見て欲しいと考えているのとは全く違った現代の日本を見ているという点。
まずみんな漫画(MANNGA)、アニメ、
映画(フランス人は映画好きである
映画発祥の地で日本人への評価が高い理由のひとつは昔から日本映画への評価が高いからでもある
黒澤、溝口、小津、成瀬といった旧いところから、北野や最近の若い監督の話題までしてくる)
コスプレ、スシ・ラーメンが入口である。
そして、この現象は世界中いえることだろう。
おそらく地球のどこの地域に行っても若い世代の日本に対する知識・認識はそこから始まっている。
その意味でみんな「日本」を必要としているのだろう。
ひとつの象徴として。
われわれが今まで生きてきた高度成長型モデル・生き方から
次のモデル探しの移行の時期なのだろう。
日本とフランスをつないで具体的に私としてどんなことができそうなのか。
○ 次世代への移行
私が初めての飛行機に乗ってパリへ行ったのが 1969年夏。
1968年の五月革命の雰囲気がまd残っている時期でした。
同時期、60年代後半から70年代にかけてフランスへ行った人たちが
現在そろそろ引退する時期になっている。
私の同世代で今までフランスで生活していたのが
引退後もフランスに住むか日本へ戻るか分かれ道になっている。
パリにあるアパルトマンを引き払って日本へ帰る友人もいる。
経営している店舗をそろそろ整理をして・・・と後継者のいないひとは考えている。
だれか日本人で興味のある人がいればそんな話のお手伝いをすることができそうだ。
不動産に関連することならパリの物件、あるいは日本の家族が所有している物件についていろんな手伝いができるだろう。
団塊の世代がこれからますます移っていく。
その変化の手伝いができるのではないか。
○ ワーキング・ホリデイ
もう一つテーマとなったのが、パリで働く日本人のことである。
正式な形の就業ビザを取得することは、フランス人の失業率を考えてもますます厳しくなっている。
不法滞在で取り締まられるとフランスに戻ってくることが難しくなる。
そこで若い人(30歳までらしいが)でワーキングホリデイを利用してパリへ行くのをお薦めしたい。
一年間と期間は限られているようだが、パリで働きながら、
若干の給料をもらい、経験を積むことができる。
知っている日本レストランでそんな日本人ふたりと話をしたが
是非日本から多くの男女が利用するといい。
もしそんな希望者があれば働くところを紹介したりできるだろう。
詳しいパリやフランスのことをアドバイスできるだろう。
○ 長期滞在
今回自分自身パリに比較的長期に滞在したが
これから日本人もロングステイが増えていくだろう。
すでにそれに対応したサービスを提供する会社も存在するが
なんといってもまだまだ不十分なので、
この分野でも友人・知人のネットワークで必要な役に立つ情報やサービスが提供できそうだ。
自分自身でアパルトマンを購入して経営していくのは難しいだろうが
長期滞在者向けに情報・アドバイス・サービスを提供し、
そういった人々向けの不動産を管理をし運営していくのは考えられそうだ。
○ 「巴里カフェ」
もっともっと深くパリを勉強したいと思うようになった。
観光コースでないパリを少しずつでいいから勉強し伝えていきたい。
「昌平塾」という名前で毎月中国のことを勉強する会を主催している先輩がいるが
それに似たような形で定期的にパリについて発表して情報・意見交換する機会を作りたいと考えている。
名前だけは考えた:巴里カフェ。
以上今回のパリ滞在で考え思いついたことを幾つかまとめてみた。
第二章
○ 「悪の教典」
「悪」とはなになのか。
支配しようとする力、
物理的力(暴力、武力・・・)や心理的力(言葉、態度を含め、ハラスメント)で他者を支配し従わせようとるることだろうか。
具体的には、テロ、戦争、党や組織。
上下関係を作り出し自由な言動を許さない。
説得、合意、同意、譲り、曖昧さ、緩衝地帯を許さず、まず外への、他者への攻撃がある。
責任能力がない。
結果を引き受けることができない。
これは三池崇史監督が貴志祐介の同名小説を伊藤英明主演で映画化したもので、
高校英語教師、蓮実聖司は、共感性欠如の殺人鬼サイコパスで、
殺戮を冷静に冷淡に続けていく。
次から次へと簡単に倒されていく姿を見せられて無力感に襲われる。
このような圧倒的な悪の力に対抗するには・・・?
○ 「レイルウェイ 運命の旅路」
戦争ってなんだろう。
戦争というのは、国と国とが戦うものなのだろうか?
戦争には戦争のルールがあるのだろうか?
ルールに従って戦争は行われるのだろうか?
戦争は軍隊と軍隊が行うものなのだろうか?…
兵士(あるいは騎士)と兵士が行うもので、民間人や女性や子供は戦争の争いには関わらないと想定されているのだろうか?
宣戦布告をすれば戦争が始まるのだろうか?
宣戦布告をするのが戦争の規則なのだろうか?
テロは戦争ではないのだろうか?
一体国・国家というのはなんの権利があって戦争を行うのだろうか?
何があれば国・国家として認められるのだろうか?
軍隊において「私」という一人称単数の主語でもって行動し発言することができるのだろうか。
この映画の原作は、1995年ノンフィクション大賞を受賞したエリック・ローマクスの自叙伝「The Railway Man」で、
第二次世界大戦下の捕虜として鉄道建設作業に狩り出された英国人将校エリックが綴った戦争体験と人生を描いている。
タイとビルマを結ぶ泰緬鉄道の建設は、「死の鉄道」として知られている。
戦争捕虜のうち6,648人の英国人と2,710人のオーストラリア人が命を落としたとされている。
主役はもっとも英国人らしいコリン・ファース、
彼を癒す役割を担うのがオーストラリア人ニコル・キッドマン。
映画はオーストラリア制作で、あたかも英国と日本の仲立ちをオーストラリアがしているかのよう。
真田広之や石田淡朗が演じる日本人像もそれなりに存在感があって見ごたえがある。
それにしてもそれにしても、
戦争という名のもとに、語りたくない、あるいは語れない行動や出来事が多くあっただろうが
恥ずべきことも間違えて行ったことも、事実は事実として語り継がれていく。
○ 「キングダム・オブ・ヘブン」
戦争ってどんなものか?
戦争の実態ってどんなものなのだろうか。
「キングダム・オブ・ヘブン」を見てまずそれを考えた。
実態を見せつけようとしているのを感じた。
物量戦、目も眩むような膨大な武器兵器が敵と敵の城壁を破壊するために使用され、
何よりも増して膨大な兵士たちが消耗される。
戦争はまず地上での兵士たちの肉弾戦つまり殺し合いにほかならない。
この映画の時代は1000年前、しかし戦争の実態は第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦と同じである。
空中を飛び交う投石合戦の場面は迫力満点である。
その時代でも既に高度な技術競争が繰り広げられている。
にもかかわらず、陸軍の血の流し合いこそ戦争・戦場の実態であることを映し出す。
…
第二次世界大戦の制空権争い、そして飛行機の進歩にもかかわらず、
海岸線から一歩一歩陸地へと進行する連合軍の兵士たちが次から次にその肉体・生命が散っていくのと平行している。
1000年前の十字軍とイスラム教徒との聖地ジェルサレム攻防の戦いを描いたこの映画から読み取れることは多い。
政治とはなになのか?
統治するというのはどういうことなのか?
何を守るのか?
何を得ようとしているのか?
領土?
冨?
民?
支配力?
絶対的権力者としての王がいろんなタイプで現れて興味深い。
映画の骨組みとして主人公の設定が絶妙だ。
バリアンは十字軍の騎士ゴッドフリーの息子・後継者で理想の騎士道を継承・追求するよう求められるのだが、
彼の基本的な自己定義は「鍛冶屋」である。
今の世では「工学部のエンジニア」というところで、
武器を作る刀鍛冶であり、馬の蹄を治すとともに投石器を設計製作でき、城砦の設計をする能力もある。
井戸を掘ることもでき、治水についてもノウハウがある。
この映画の中で「工学部」と「政治学部」とが、社会に何が役立つのか、どのようにすべきか、議論をしている。
思うに、日本は第二次大戦後「鍛冶屋」でやってきたのだが、
これからは「十字軍」に参加しようとしているのだろうか。
「騎士」として「聖戦」に参加しないといけないのだろうか。
1000年前から続いているこの争いに解決策を早急に見つけるのはむつかしそうだ。
アカデミー賞巨匠リドリー・スコット監督歴史超大作 主演オーランド・ブルーム、壮大なスケール。
○ 神の声 「ノア 約束の舟」と「フィールド・オブ・ドリームス」
神様の声を聞くというのはどういうことなんだろうか。
「神様」と書いてここで既に引っかかってしまった。
一神教、キリスト教やユダヤ教やイスラム教ではおそらく「神様」といったなんとなく「様」づけするような親しみのニュアンスはないのかもしれない。
八百万の神がいると「神様」みたいな表現が自然と出てくるのかもしれない。
とまず余計なことから始めてしまったが、本論はそんなことではない。
二本の映画で神の声を聞いた話を見た。
まずは「ノア 約束の舟」。
有名な聖書の話。
ノアは人類や生命を救うために舟を作ったのだと思っていたが、
ノアが神(創造主)から受けている指令は
人類を絶やすこと、地を汚す人間を抹殺して人間以外の自然の動物植物だけの楽園を復活させることにあったのだ、
と映画で教えられた。
その指示を絶対視するノアと家族との葛藤、他の人間との葛藤、波乱に満ちた論争が展開される。
神(創造主)と人間・創造された者との隔絶は我々日本人には理解しがたいものがあるように感じた。
もう一本は、「キネマの神様」で取り上げられていたので見る気になった
ケビン・コスナーのアメリカ映画「フィールド・オブ・ドリームス」である。
中年男がある日「神の声」を聞く。
とうもろこし畑を野球場にすればかれが来る、といった内容である。
映画では実際に神の声が聞こえる。
そして彼だけでなく彼の家族、また何人かがその声を聞くことになる。
神の声を聞く人と聞こえない人、二種類の人がいることになる。
神の声を聞くことってあるのだろうか。
二本のアメリカ映画で語られる「神の声」は二つまったく異次元の世界で、面白い。
○ 「LET IT BE」と「○△□」
フランスから帰って日本とフランスのことをもっと知りたいと思って
レヴィ=ストロースの「月の裏側 日本文化への視角」という本を読んでみた。
レヴィ=ストロースはご存知かもしれないが、「20世紀後半の思想界をリードした知の巨人」と帯で紹介されている。
いろいろ面白い切り口で日本と自分あるいはフランスとの関係を語っているのだが、
「グラフィック・アート」と称せられる、絵画や美術に留まらない、より広い分野が多く語られている。
その本の中で初めて知った名前だが「仙厓」という禅僧のことが一文入っている。
仙厓の書画・公案についての文の中に「二項対立から脱却する」として、こんなことが書かれている。
「一切の二項対立を超えて、美と醜の対立がもはや意味をもたなくなるような状態に達すること」、
「それは仏教で「如是」(ainsite)と呼ばれている。
どんな区別よりも先にあって、是(かく)の如くに(ainsi)あるという事実による以外、
定義できないものなのである」としている。
カッコの中の ainsite、ainsi というのはフランス語だが、
ainsi というのは 「このように」 というほどの意味で、
ainsite という言葉はなく、「このようにある状態」という名詞化した造語である。
つまり「あるがまま」「本来的な様態」といったことを表すのだろう。
この言葉を見つけて「LET IT BE」という表現を思い出した。
ビートルズが流行った60-70年代、ジョージ・ハリスン以下インド哲学に興味を持った世代が歌ったタイトルはこんな流れの末裔にあったのだろう。
丸と四角、そのあいだの三角。その二つをつなぐ三角。
尖っているけど、丸いものと四角いものの間でどっちにも重なる三角、
こんな図が面白い。
仙厓(1750~1837)というのは、臨済宗古月派の僧で、日本最古の禅寺である博多聖福寺の住職として活動したそうだ。
禅の境地をわかりやすく説き示す軽妙洒脱でユーモアに富んだその書画は、人々に広く愛されてきた。
出光美術館のホームページにはこんな風に解説されている。
そして、出光コレクション第1号となった「指月布袋画賛」をはじめ、約1000件を数えるコレクションがあり、
そのひとつが「○△□」である。
○ 渥美清の俳句
日曜日の朝は新聞の書評欄をゆっくり読む楽しみがある。
普段の日と違ってテレビでも俳句番組をやっていたりするので
ちょっと違ったムードとなる。
今日の毎日新聞朝刊に「文人たちの俳句」という本の紹介の中で幾つか俳句が引用されていた。…
寺田寅彦の作品として
人間の海鼠(なまこ)となりて冬籠(こも)る
哲学も価格も寒き嚔(くさめ)哉
こんな短い少ない言葉で豊かで面白いことが言えるものだと感心した。
寅さんこと渥美清の作として
いつもなにか探しているようだナひばり
というのと
げじげじにもあるうぬぼれ生きること
が気に入った。
17文字前後でいろんなことが言えるものだ。
人が全て現れてくるものだ、などと朝感じ入った。
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