TEL06-6976-6194

受付時間9:00〜17:00(土日祝休み)

お問い合わせ
TOPお知らせ › 月別アーカイブ: 2014年8月

お知らせ

月別アーカイブ: 2014年8月

26-045 第22回杉の実サロン「女性経営者・女性起業家とは?」杉の実サロン3

 

 平成26年8月26日(火)弊社第三ビル2階会議室にて開催いたしました。

 

お話を頂いた山口里美さんは司法書士法人を早くから立ち上げられ

この分野では比較的珍しい全国展開をしています。

女性経営者として、女性起業家・企業家としての今までの道筋をお話いただくとともに

どのような考えでやってこられたのかを語っていただきました。杉の実サロン5

 

どうして司法書士になるに至ったかから始まり、創業当初の困難な状況の克服、いろんな人との出会い・つながりからの全国展開、現在のスタッフとの結びつき・企業のメンバーに対する考え方(家族・パートナー)といったお話から、最近の出版物「・・・エンディングノート」に込められた願いなどを熱く語っていただきました。

 

出席者からの質問や感想・コメントも多く、予定していた30分の時間では足りず、立食での懇親の時間に食い込むほどでした。

独立間もない士業の方からは参考になり勇気づけられたとコメントがあり、早速エンディングノートを勧めたり自分で書いてみようと思ったという発言も飛び出しました。

 

アルコールも入りながらの懇親会でも話が尽きず、山口里美さんを囲んでの話や参加者同士の交流が行われ、遅くまで賑やかにそして楽しく過ごしました。杉の実サロン1

 

30名の参加者が盛り上がった会になりました。

 

山口里美様初め参加者の皆様ありがとうございました。20140608第二十二回杉の実サロン異業種交遊会 「女性経営者」案内(訂正版)

 

 

なお次回第23回杉の実サロン交遊会は
平成26年10月22日(水)18:00-20:00 弊社 杉浦実業第三ビル2階会議室にて
「最近のお葬式事情」と題して 株式会社 川上葬祭 代表取締役 川上知紀さんにお話いただきます。201410第二十三回杉の実サロン異業種交遊会 「お葬式」案内

 

 

 

 

 

26-044. メルマガ「うごくもの うごかないもの」8月 増刊号 発信

 

よろしく!!!
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
      うごくもの うごかないもの
        ー人・企業・不動産ー
         平成26年 8月号  その2(増刊号)
        まぐまぐ ID 99461
 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
 
 
 第一部 雑感
 ○ 「寝たきり」ファイル
 ○ くさか 日下 孔舎衙 安岡正篤
 ○ 不安
 ○ 食事をご一緒に
 ○ ”うえろく”のこと
 ○ 最近の不動産業界

 第二部 映画/DVD
 ○ 「約束の旅路」 
 ○ 「人生、サイコー!」
 ○ 「ウオルト・ディズニーの約束」:もうひとつのメリー・ポピンズ

 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
 
 増刊号です。
だれか読んでくれるかな。
 
 第一部 雑感
 
 ○ 「寝たきり」ファイル
 
 人間の「寝たきり」、犬の「寝たきり」の問題を考えていたら
事務所に山積みされているファイルのことが思い浮かんだ。
 
 そうだ! ファイルを「寝たきり」にしてはいけない。
重ねられたファイルはどうしても見なくなる。
忘れられてしまう。
 
 ファイルは立てないといけない。
 
 「寝たきり」ファイル撲滅運動を会社で推進しよう。
 
 「生きているもの」と「死んでいるもの」を分別し、
「生きているもの」を「寝たきり」でなく「元気なもの」へと「自立」させるよう心がけてよう。
 
 さぁ、それでは「寝た子」を起こすところから仕事にとりかかってみようか。
 
 ○ くさか 日下 孔舎衙 安岡正篤

 「孔舎衙」を「くさか」と読める人は日本で何人ぐらいいるのだろうか。
東大阪の石切のあたり、生駒の山の麓あたりの古い地域である。

 前からなんとなく縁があった地域だけれど、あまり詳しくは知らなかった。

 知っていたのは囲碁の井山六冠王がこの地域の出身ということくらい。

 最近もうひとり有名人が住んでいたことを教えてもらった。
安岡正篤である。
孔舎衙小学校を出ているという。
小学生・中学生時代に住んでいた家が保存されていた。

 ○ 不安

 自分は運のいい人間だと常々思っている。
生野のある会で金賞を、最後の最後の残りくじで当たった。
一万円の商品券が入っていた。
会費を出して儲けてしまった。

 はて、と考えてしまった。
しかしこれはちょっと出来過ぎではないか。
運が良すぎるのではないか。
運が良すぎて心配になった。

 なにか悪いことが起こらなければいいが・・・

 こんなことが頭をよぎった。
そして、こんなことを考える自分の器の小ささを思い知らされた。
自分の小心者さに嫌になった。

 ○ 食事をご一緒に

 8月3日の毎日新聞を読んでいてこんな記事に出くわした:
サル化する人間社会
 京大の山極寿一教授の「時代の風」というシリーズものだが、
ちょっと長いが引用させてもらう:
 サルの食事は人間とは正反対である。
 群れで暮らすサルたちは、食べるときは分散して、なるべく仲間と顔を合わせないようにする。
数や場所が限られている自然の食べ物を食べようとすると、どうしても仲間と鉢合わせしてけんかになる。・・・
 けんかの種になるような食べ物を分け合い、仲良く向かい合って食べるなんて、サルから見たらとんでもない行為である。
 なぜこんなことに人間はわざわざ時間をかけるのだろうか。
 それは、相手とじっくり向かい合い、気持ちを通じ合わせながら信頼関係を築くためであると私は思う。
・・・
 ところが、・・・近年の技術はこの人間的な食事の時間を短縮させ、個食を増加させて社会関係の構築を妨げているように見える。
自分の好きなものを、好きな時間と場所で、好きなように食べるには、むしろ相手がいないほうがいい。
そう考える人が増えているのではないだろうか。
 でも、それは私たちが食事によって育ててきた共感能力や連帯能力を低下させる。
故人の利益だけを追求する気持ちが強まり、仲間と同調し、仲間のために何かしてあげたいという心が弱くなる。
勝ち負けが気になり、勝ち組に乗ろうとする傾向が強まって、自分に都合のいい仲間を求めるようになる。(引用終わり)

 そこで出した私の結論:
 さぁ どこかに一緒に食事にいきましょう。
 どこかいい料理屋かレストランに招待いたしますよ。
 お声を掛けていただいたら、どこへでも喜んでお伴しますよ。

 ○ 「うえろく」のこと

 「うえろく」 と言えば 上本町六丁目、
これを略して 「うえろく」。
そんなん 分かりきったことやん。
(私の友人たちは当然そう言う)

 ところがこれが通じなくなっているらしい。

 若い人だけでなく、タクシーの運転手でもわからないのがいるらしい。

 外国人観光客には「UEROKU」ではわからんかも、
近鉄の駅も「上本町駅」になってるし・・・

 「上六」のハイハイタウン裏、庄助さんで同窓会の反省会をしていて
こんな話題が出た。
 
 ○ 最近の不動産業界
 
 収益物件がない。
一億円レベルの物件は払底してしまったようだ。
 これは個人でも買えるレベルで
ローンがつきやすい。
お医者さんで買うひとが多いらしい。
銀行が金を貸すらしい。
 今の世の中で、お医者さんの将来は結構不安なようだ。
病院経営も難しくなっていく。
 そんななか収入と資産の安定化を図っているのかもしれない。

 収益物件で2億-3億となると中小中堅企業が参加してくるようだ。
それに海外から中国・韓国・東南アジアか投資家が買いに来るという。
 日本から外国へ行く話も増えていて、
不動産のぶんやでも国際化が進んでいく。

 不動産業界のやり方もますます変わっていくのだろう。
 
 
 第二部 映画 DVD
 
  iTunes でレンタルしたり、
アマゾンでDVDを購入したり、
毎日のように映画を見ています。

 最近見たDVD、映画の中から
 
 ○ 「約束の旅路」

 イスラエルとハマスが戦いをしている今の状況で
この映画を話題にするのは難しいかもしれないが・・・

 2005年ベルリン映画祭賞受賞作。

 1984年に実際に行われたエチオピアのユダヤ人救済作戦「モーゼ作戦」のお話。
スーダンからイスラエルへ8000人を輸送した。…

 キリスト教徒の母親が子を救うためにユダヤ人の母親に息子を託す。
イスラエルに着いた後ユダヤ人の母親は死んでしまい、
黒人少年はイスラエルのフランス系家族の養子となる。
 彼の三人の母親とポーランド系の恋人にまつわる話で、
白人と黒人、人種差別、ユダヤ教・キリスト教といった問題が浮かび上がってくる。

 自分のIDを偽って生きる辛さ、トラウマ。

 ひとりの人間にこれだけの歴史と繋がりが交錯している。
国が違い、民族が違い、肌の色が違い、
肉体的に異なった人間が一緒に生きていくことの難しさ。
こんな一人ひとりの人間が生きていることを前提に
国際問題、紛争について議論しないといけないだろう。

 ○ 「人生、サイコー!」

 カナダ映画をリメイクしたらしい。

 ポーランド移民の2代目デヴィッド・ウォズニアックは
家族にパリ旅行プレゼントするために精子提供者となる。
(こちらもポーランド人の設定になっている)

 あまりに頑張りすぎて、そして成功しすぎて
533人の父親になり(知らないうちに)、
20年後にそのうちの142人から身元開示の裁判を起こされる。

 こんな荒唐無稽なシチュエーションから見事な物語が繰り広げられる。
生物学的つながりと家族というもの、
「人間みんな家族」というような笹川良一的人類家族論も一考に値するなぁ、
なんて考えてしまうようなおもしろさ、おかしさ。

 人間関係、いろんな関係がすべて肯定されるような世界観。
一見の価値アリ。

 ○ 「ウオルト・ディズニーの約束」:もうひとつのメリー・ポピンズ

 予想していたのと全く次元の違ういい映画でした。
タイトルからはディズニーからの視点が中心になっているようですが、
「メリー・ポピンズ」の原作者トラバース夫人の頑固振りが非常に好感を持って見られます。

 ひとつの癒しの物語、年少時代のトラウマ回復のお話。

 映画「メリー・ポピンズ」からこのような重層的な映画が作られたことに敬服しました。

 タイトルの付け方に不満があります。
私なら「もうひとつのメリー・ポピンズ」という題をつけたいと思いました。
みなさんはいかがでしょうか。
 銀行勤めのお父さんは大変なんだろうか。
監獄生活なんだろうか。
お父さんにとって子供が救いなんだろうか、
また反対に子供からそんな風な不自由な人生と見られているのだろうか。

 軽々と想像力の天空に浮かび上がっていくには
小説や映画といったフィクションが必要なんだろう、
そんな感想をもちました。
◎うごくもの うごかないもの -人・企業・不動産-
  のバックナンバー・配信停止はこちら
http://archive.mag2.com/0000099461/index.html

26-043. メルマガ「うごくもの うごかないもの」 平成26年8月号 発信

 8月15日のお騒がせ。

お時間のあるときにご笑覧ください。

 

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
      うごくもの うごかないもの
        ─ 人・企業・不動産 ─
         平成26年 8月号
        まぐまぐ ID 99461
 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
 
 序章
   ○ 8月  
 第一章 感覚
   ○ 蝉
   ○ 川は流れる・・・ 
   ○ 「自立」
 第二章 マクロ ミクロ 
  ○ 世界情勢
  ○ 政治・経済
  ○ 「期待はずれ」
 第三章 小説と映画
  ○ 小説「殺人出産」村田沙耶香著 講談社
  ○ 映画「フィフスエステート」
  ○ 映画「大統領の料理人」
 終章
  ○ 終りからの出発
 
 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
 
 序章

  ○ 8月
 
 まずは、残暑お見舞い申し上げます。
 
 8月は特別な月です。
夏休みです。高校野球です。
戦争について、広島・長崎について、報道されます。
 
 弊社にとっても特別の月です。
1965年8月2日会社が設立されました。
(初代社長の誕生日にあたります)。
今から49年前です。
来年2015年は設立50周年の節目を迎えます。
来年には会社を上げての楽しい行事を計画したいと考えています。
 
 暑中見舞いの季節ですが、
今の時代、一筆献上とばかり、手書きを心がけています。
いただいた暑中見舞いの返事に旅行中に購入した手持ちの絵葉書に一言書いて出しています。
印刷して大量に郵送するよりインパクトがあるのではないか、
心を込めて書くと面白がってもらえるのではないか、
限られた人にその人だけの絵葉書(旅の思い出、有名絵画)を贈るのを気に入っています。
 
 パソコンで一生懸命やっているFACEBOOKでも
「友達」は少ないほうがいいのではないか、
そんなことを考える今日このごろです。
 
 第一章 感覚

  ○ 蝉
 
 蝉が鳴いているときはやかましいと感じるのですが
鳴かなくなるとさびしくなります。
北杜夫の「どくとるマンボウ昆虫記」に「蝉の話」がありました。

「盛夏、太陽がカンシャクを起こしてじりじりと地上に照りつけ、
人間たちがへたばってしまうころ、蝉たちは意気さかんにわめきたてる。
セミの成虫の生きている期間はごく短く、せいぜい十数日ということだ。…
それゆえにこそ彼らはあんなに鳴きたてるのであろうか。
それにしても鳴くこと鳴くこと、ジイジイジイ、ミーンミンミン、
よくもあれだけ鳴きわめけるものである。
短命だから鳴きたてるのか。
あまりにも鳴きわめくから短命なのか、わかったものではない。

・・・私の最も愛好するのはクセナークスの次の一句である。
 蝉の生涯は幸いなるかな
 彼らは声なき妻を有すればなり」
(鳴くのは雄の蝉だけ、雌はそれを聞いているのか、いないのか?)

 奥さんからガミガミいわれている定年後のご亭主には、
北杜夫に同意する人は多いかもしれません。
 しかし、私の個人的なコメントを許していただけるのであれば
そして若干自分のことをカッコよく言うわけではありませんが、
妻という長年常にそばにいる存在が、外からいろんなことを言ってくれ、
そんな声を、必ずしもいつも快適とは言わないにしても
安心感をもって聞くことができたのは、幸いであった、
と感謝している今日このごろです。
 
  ○ 川は流れる・・・

 この頃よく「死」のことを考える。
年齢のこともあるだろう。
確実に「死」がやって来ることが痛感できるからである。
 
 そして「自分」のことを考える、「生命」といったことを考える。
「来世」とか「死後の世界」といったものは信じられない方だから
一体今の「自分」はどうして出来てきたんだろうか、
どうしたものなのだろうかと、それほど真剣ではなく漠然と考える。
 
 最近昔読んだ本ももう一度読んでみようといった心境になっている。
従来私は一度読んだものを何度も読むより新しいものを求める好奇心の方が強いタイプ、新しいもの好きであった。
ふと中学時代に読んだヘルマン・ヘッセを読んでみた。
今もこのドイツ人ノーベル賞作家を読む人がいるのだろうか。
 
 そのなかでこんな文章を見つけて共感を覚えたので
引用させてもらいたい。

 「川が彼に教えた。
彼は川から絶えず学んだ。
何よりも川から傾聴することを学んだ。
静かな心で、開かれた待つ魂で、執着を持たず、願いを持たず、
判断を持たず、意見を持たず聞き入ることを学んだ。
・・・…
川は至る所において、源泉において、河口において、滝において、渡し場において、
早瀬において、海において、山において、至る所において同時に存在する。
過去という影も、未来という影も存在しない。

そうだ・・それを学び知ったとき、私は自分の生活をながめた。
すると、これも川であった。
少年シッダールタは、壮年シッダールタと老年シッダールタから、
現実的なものによってでなく、影によって隔てられているにすぎなかった。
シッダールタの前世も過去ではなかった。
彼の死と、梵(ぼん)への復帰も未来ではなかった。
何物も存在しなかった。
何物も存在しないだろう。
すべては存在する。
すべては本質と現在を持っている。」

「シッダールタ」ヘルマン・ヘッセ 新潮文庫
 
  ○ 「自立」

 自分で立つ、自分の足で立っている、この事自体大変なことだと気がついた。
たいていの格闘技は、地面に体をつけられると、つまり土をつけられると負けることになる。
球技でも体が地面に倒れてしまうと、プレーから離れなければならないルールが多い。
それほど二本足で立って行動するのは大事だとみなされている。
 
 まして精神的も自立しているかと議論しだすとこれまたさらに一層難しい問題だ。
自分自身でものを見て、感じて、判断して、考えて、そして行動する。
他者から強制されず束縛されず、他者のものの見方からフリーになって、本当に自分が自立できているのかどうか、
そんなことを言い出すと「自分で立つ」ことが一層の大事業となる。
 
 「自立」と対極の状態は「寝たきり」だろう。
できることなら「ピンピンコロリ」という終わり方が望ましいように思う。
「寝たきり」の状態にならないよう万全を期すべきなのだろう。
 
 人間の「寝たきり」も大変だが、ペットの「寝たきり」も大変のようだ。
先日「老犬を寝たきりにさせない飼い方」というセミナーに出席する機会があって、いろいろ教えられ、考えさせられた。
以前であれば数年で死んでしまった愛犬が10年を超え15年以上生きることが多くなってきているという。
長生きに伴って病気の問題も取り上げられた。
昔ならガンや腰痛や認知症などに罹る前に死んでいたのが、今やこのような病気になるペットが急増しているらしい。
 
 このようなペットを「寝たきり」にさせないためにはどうすればいいかというのがテーマのセミナーだが
人間のこと、自分のことにも適用できる内容ばかりであった。
「寝たきり」は急にやってこない、という認識から、その兆候がないか常日頃気をつけること。
「寝たきり」にしないために予防をすること。
犬の場合であれば、骨が弱っているので段差のある場所を飛び降りたりさせない、
足を温めたり腹巻をさせたりして血の流れをよくする・・・
ペットにお灸をする話も出ていた。
 
 「自立」から「寝たきり」の話題になってしまった。
人間からペットの話になってしまった。
 
 第二章 マクロ ミクロ 
 
  ○ 世界情勢

 このごろ毎朝テレビのBSで世界各国のニュースを見るのが日課になっている。
映し出されるのは戦争の話ばかり。
国と国、民族と民族が武器を持って戦い合う光景が延々と映し出される。
民間人が避難民となり子供や女性が犠牲者となる。
大昔から日本も含め世界中で繰り広げてことである。

 力を用いて支配する以外に世界を統治する方法はないのだろうか。
そして力に対抗するのには力しかないのだろうか。

 また、戦争や戦いにおいて国家がとてつもない強制力を持っていることに脅威を覚える。

  ○ 政治・経済

 どのくらいのタイムスパンで物事を考えればいいのだろうか。
例えば日本の政治家は5年先のことを考えて思考し行動しているのだろうか。
それとも10年先、20年先、50年先、100年先を見ているのだろうか。
それとも次の選挙のことを考えているのだろうか。

 判断材料は十分なんだろうか。
判断できると確信して判断するのだろうか。
人間の知識と認識でカバーしきれないものをどのように思考回路の中に入れていくのだろうか。

 原子力発電のことを考えている。
東京オリンピックに向けての自然天災対策の万全性について考えている。
本当に大丈夫と言い切ることの危うさについて考えている。
謙虚であるべきではないか。
正直であるべきではないか。
分からないものは分からないものとして取り扱うべきではないか。

  ○ 「期待はずれ」

 人間関係全般についての考え方ではあるが、人に期待しないように自分に言い聞かせている。

 ちょっと大げさになるが、心の基本的なところで「期待」することを禁じるようにしている。
何かをしたとしても、それについて人からなにかしてもらえるとか何かしてほしいと思うとか、人に対して「期待」することは止めるようにしている。

 「期待」しないように心がけている。

 こんなことがあった。
天神祭の時2時間ほど船上から花火を見て遅くなって疲れ切ってやっと地下鉄に乗って南森町でやっと座ることができた。
ところが天満橋でもまたどっと浴衣姿の人たちが入ってきた。
ドアすぐの席に座っていた私のすぐ前にも人が来た。
若い二人連れで、なにげなく女性に目をやるとお腹が出ているのがわかった。
前にいる男の方に「座りますか」と声をかけて席を譲った。
女性は男の方を見たまま腰を下ろした。
視線は男性の方を向いたままでこちらを向くことはなかった。
ふたりともこちらと視線を合わすことなくもちろん言葉のやりとりもなかった。

 感謝をしてもらうつもりはなかった。
こちらの心境の具合で勝手に席を譲ったのだし、感謝を期待したのではないはずだった。
ところが実際に感謝もされず相手からなんにもないと分かると、
そんな状況を前にしてひそかに何かを期待していた自分がいて、
そして結局そんな自分が「期待外れ」だったことに気付かされた。
期待しないはずが期待している、ああ、なかなか自分の思い通りには悟れないものだ。

 期待外れ、自分への期待外れ。
人への期待外れなどを言うまえに・・・

 第三章 小説と映画

  ○ 小説「殺人出産」村田沙耶香著 講談社

 本の帯にこう書かれている:10人産めば、1人ころしてもいい。
「殺人出産制度」が認められた世界を舞台に、「生」と「性」の倫理観に疑問を突きつける衝撃の問題作!

 こんな風にコピーを書かれると、私なんぞはキャッチされないわけには行かない。
早速アマゾンで購入して第一に読んだ。

 この本には4つの短編が収められていて
「性」「男女関係」を中心に「生と死」「夫婦、家族」といったテーマを斬新な「切り口」から取り扱っている。
ただ、なにか知的ゲームに感じられて残念に思った。

 性、生について描かれているが、
もっとSFファンタジー的に社会制度の「制」をもっともっと書いていたら大小説への出発点になった気がする。
ジョージ・ウエルズの「1984年」の系譜に連なる作品になる可能性を秘めている。
制度的な背景とそれに加えて登場人物一人ひとりがもっと重層的に描かれ、肉付けして欲しいと感じた。

 注目すべき作家で、これからどんな風になっていくのか楽しみだ。

 最後にこんなことを書くとすべて台無しにしてしまうのかもしれないが、
感じたことを正直に言えば、「女と男は違うなぁ」と痛感(文字通り、痛く、傷が痛むように、痛みとして感じる)した。
それだけ期待があるということだ。

  ○ 映画「フィフスエステート」

 内部告発サイト 「ウイキリークス」を作った男アサンジの物語。
情報をどこまで公開できるのか。
どこまで公開すべきなのか。

 ジャーナリズムとはなになのか?
これからのジャーナリズムは?

 難しい問題を提起している。
 
  ○ 映画「大統領の料理人」

 フランスでの大統領のイメージ、庶民と大統領との距離感みたいなものが感じられて面白い。
郷土の味へのこだわり、食と文化、教養が見え、フランス人の茶化し方、人を思いやるやり方がじんわりと染み込んでくる。

 終章

  ○ 終りからの出発

 手法として「最後から発想」していくという方法がある。

 組織にせよ、プロジェクト・計画にせよ、何か考えていくとき
まず出発点として「最終型」「理想系」を想定して、そこに至るには何をすればいいか、何が必要かを考えるというやり方である。

 うまく契約できたとする。
その場合何があったからできたのか。
どういう条件が揃ったからできたのか。
どういうタイミングでどのように行動したからできたのか・・・
このように最終型から詰めていく、逆方向から分析していくやり方である。

 このやり方で考えていくと、「終わる」とか「終える」という発想を最初から含んだ思考をしていかないといけないことに気がつく。
家を建てるときには解体撤去を考えに入れて設計しないといけないということだし、
計画を始める時には、いつ終了するのか、どのようにして終了するのか、
こういったことを視野に入れないといけないということだ。

 そして今考えている:
死んだ後どのようになっているのが「私」の理想形なんだろうか、と。

◎うごくもの うごかないもの -人・企業・不動産-
  のバックナンバー・配信停止はこちら
http://archive.mag2.com/0000099461/index.html

さて、勝手ながら弊社では、下記の日程により
夏季休業とさせていただきます。

 

  8/13(水)〜8/17(日)

さる8月5日(火)18:00より弊社会議室にて不動産HITの会が開催されました。

今回の参加人数はお盆時期ということもあり通常より少ない参加人数でしたが、逆に情報

交換より皆様の近況報告や物件についてのご意見等ゆっくりお話を伺うことができまし

た。

 

 

 

最近投稿された記事

月別アーカイブ