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月別アーカイブ: 2013年3月

25-007. メルマガ 「うごくもの うごかないもの」 3月号

 毎月お騒がせいたしますが、「まぐまぐ」から無料配信していますメルマガ「うごくもの うごかないもの ー人・企業・不動産ー 3月号」をしつこく作成しております。お読みいただけるとありがたいのですが、もし面倒な方はアドレスの登録だけでもお願いいたします。読者集めに苦労しておりますので格好付だけでもご協力お願いいたします。
 お騒がせいたしました。

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     うごくもの うごかないもの
       ー人・企業・不動産ー
        平成25年 3月号
       まぐまぐ ID 99461

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  第一部 

 ○   会長! 会長!
 ○ 決算
  ○ フランス人研修生 草の根運動
 ○ 「杉の実サロン異業種交遊会 北朝鮮」参考文献

  第二部 昔話三話

 ○ オリンピックへの道
 ○ 入試シーズンに思う
 ○ 名前 これまた昔話
 ○ 「天地明察」 と 「桐山、部活やめるってよ」 と 「光州5・・18」

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  第一部

 ○   会長! 会長!

 「会長! 会長!」と呼びかける社員の声にはなんとなく戸惑いがある。
実体のなかったものをこれから作り出そうと努力しているのだろうか。
一方こちらは、「社長!」という声に、
「あれ?これは自分ではなかったなぁ!」と一泊置いたいう反応になる。
お互い戸惑い困惑の空気が漂う。

 3月で社長から会長になった。
長女が社長を引き受けてくれたので引き継ぐことにした。
ただ新社長はまだまだ若いし経験不足でもあるので
代表取締役社長と代表取締役会長という形で二人の代表者の体制となった。
まるで維新の会の石原慎太郎と橋下徹の共同代表みたいなものだ。
年寄りと若いの二人が相並ぶという格好だ。
なかなか仲良くというわけにはいかないが・・・

 社内の仕事は社長に任せてこちらは好きなことだけやっていればいいようになりそうだ。
対外的なお付き合いとか会社のネットワーク作りのための杉の実倶楽部とかに力を入れていけそうだ。
杉の実倶楽部では不動産業者の集まり「不動産ランチの会」を開催したり
「杉の実囲碁の会」を毎月やっているが、
そこの会長でやっていこう。
また、ロータリークラブに入れてもらって楽しく活動させてもらっているが
この年度替わり7月から年功序列で会長を仰せつかっているので
こちらも頑張ってみよう。

 いろんな会長!会長!でこれからも活躍できそうだ。

 ○ 決算

 会社は12月で締めるので2月に結果報告、
税務署や銀行に提出しなければならない。
業績は大変。
借金も多いし、次の世代に引き継いでいくにも申し訳ない限りである。
赤字だと借金できない。
なんとか黒字を確保して命を永らえる。
今期はなんとか頑張って大きな顔で銀行周りができるよう・・・
いつものことながら・・・

  ○ フランス人研修生 草の根運動

 ここ数年フランスから企業内の研修生を受け入れているが
ある人からこんなメールをいただいた。
「・・・フランス人の研修生を、長く、途切れることなく受け入れているのは
まさに希有なことで、私は草の根運動として、よき日仏関係の絆をつないでいることを
広く知らせたいと思っています。

きっかけは?
連続して受けいれて何年? 延べ何人?男女比率は?
日本語を理解できるレベルの人たちに限っていると思うけれどその選考は?
研修期間の宿泊施設は?・・・・・
興味はつきません。」

 この機会に少しまとめて書いてみます。
今年で5年目、5人目、
最初の受け入れは女性、次に男性、女性、
去年は男性、今年は女性ということになります。

 そもそもこんな話になったのはフランスのリヨン大学で教えている人と昔からの知り合いだったからです。
40年以上前にパリに留学した初期のときに知り合った日本語専攻の女子学生が
その後日本アジア関係のMBAを担当する大学教授となり
日本企業でのインターンシップを見つけるのに苦労していました。

 ご存知のようにMBAの学生が企業に就職するにあたっては企業でのこのような研修体験が必須です。
日本でのこのような体験はフランスでも評価されるようです。
もちろんパナソニックなどの大企業では一定の枠の中で受け入れてくれますが
なかなかそれもキビくなっています。
まして中小企業となるとなかなか関心を持ってもらえないし受け入れ体制もないようです。
初めから億劫がられて難しいようです。
(実際にはそれほど負担にならないでできるのですが・・・)

 具体的に弊社の場合ですが、
学生たちは専修大学で日本語の集中講義を受けて
(もちろんその前に本国フランスで日本語を勉強しているのですが)
その後4ヶ月社内研修を行います。

 研修プログラムと呼べるほどのしっかりしたものはありませんが
会社の中を全部開けっぴろげにして社員や社長同行して
すべて勉強してもらうといった調子です。
逆に特別なお世話をしたりしないように心がけています。

 宿舎については弊社の不動産賃貸業という職種柄
弊社の空いている古いマンションの一室を提供していたのですが
いままでは稼働率が悪く空き室に余裕が有り(変な表現ですが)
どこかに入ってもらえてあまり苦労はなかったのですが
今回は、うちの社員の頑張りで空き室に余裕がなくなり
やっとなんとか確保しました。
滞在費の一部として「お小遣い」を支給しています。

 弊社の研修を終えてフランスへ帰ると大学での試験が待っていて
それにパスすると卒業という手順です。
それから就職できる人は就職しますが
さらに別の専門分野の資格を取るために勉強を続ける人もいます。
ご存知のようにフランスでも若い人の就職は難しいですが、
日本を専門にしている彼らはできれば自分たちの特異な学歴・キャリアを活かして
日本で日本の会社か外資で就職先を見つけて履歴書に書けるようにしたいと考えているようです。
そのような経験があればその後のキャリアが容易になり
フランスに帰ってもフランスの一流会社でも受け入れてもらえるようになるからです。
そして、転職しながらキャリアアップを図っていくことになるのでしょう。

 最初の女性は郷土のボルドーでワインの商社で働いているようです。
二人目の男子は日本でベルギーの会社だと思いますが、
世界的なネットワークでビジネスをしているヤマトのような運送会社の日本支社に就職し仕事を覚えて
今はその会社のベトナム支店の責任者となって今年赴任したようです。

 「草の根運動」などという言葉はこそばゆい感じがします。
自分たちが知っている人のつながりでこんなふうになっているだけで
また面白がってやっているというのが本当のところです。

 何かの参考になれば幸いです。
またいろいろご意見をお聞かせください。

 ○ 「杉の実サロン異業種交遊会 北朝鮮」参考文献

 2月20日(水)のテーマが「北朝鮮」で多くの人に関心を持っていただきました。
弁護士稲田賢太郎氏の準備にも敬意を表するものですが
参考文献として挙げられていたリストは参考になるのではないかと考え
転記させていただきます。

 平井久志「北朝鮮の指導体制と後継」(岩波現代文庫)
 和田春樹「北朝鮮現代史」(岩波新書)
 小倉紀蔵「新聞テレビが伝えなかった北朝鮮」(角川書店)
 高 英起「コチャビよ、脱北の皮を渡れ」(新潮社)
 五味洋治「父金日成と私」(文藝春秋)
 五味洋治「北朝鮮と中国」(ちくま新書)
 北朝鮮研究会編集「北朝鮮は、いま」(岩波新書)
 石丸次郎編集「リムジンガン」(アジアプレス出版部)

   第二部

 ○ オリンピックへの道

 50年以上も昔だが
生まれ育ちの河内の国八尾市から大阪市天王寺区の中学へ越境入学した。
当時周辺の市外から多くの少年少女が天王寺区へと籍を移した。

 今考えると、そして同窓会でもイヤミを言われるが、
「外から知らないのがたくさんやって來よった」
はなはだ迷惑な話であったろう。

 しかし侵入していった方もはなはだショックなことが多かった。
ぼくの通学した中学には変な教師がいた。
筋肉モリモリの体を体操服で見せながら
いつも学校の入口玄関付近を逆立ちで歩き(?)回っていた。

 すぐに有名教師で渾名を「ボロタン」ということがわかった。
「ボロのターザン」という意味なのか、だれも説明してくれたことがない。
この体育の先生が一年の担任になった。

 そして、市内の体育のレベルにショックを覚えた。
八尾では鉄棒で逆上がりをして得意になっていたが、
市内ではかなりの生徒が蹴上がりができた。
担任が体操クラブの指導をしていてそこでのレベルはさらに高かった。
クラスの中で三人がクラブでトレーニングを受け、
鉄棒の大回転をこなし、
床運動ではバク転を見事にマスターしていった。
大阪府の大会でも表彰されるレベルであった。

 同級生のひとりはその後私立高校の教師になり
オリンピックに出場する体操選手を育成する立派な指導者になった。

 そんな立派な同窓生に今持って腹立たしさを覚えるのは
小学校の時は必ず通知簿の体操は最良の5をもらっていたのに
中学1年のときは絶対に5を獲得できなかったからである。

 クラス50名、1割が5をもらえるとして、男で3名か2名、
体操のうまいのが3名は確実にいたので、こちらには絶対に回ってこなかった。
(小学校から中学校に入学した時には密かに期待していたのである)
羨ましい限りであった。

 ああ、大車輪やバク転は結局一生できず終いだ。

 ○ 入試シーズンに思う

 受験戦争とか有名大学とか、そんなのが人生にどの程度重要なことなのか
今の自分にはなかなか判断できない。
ただみんな大変だなぁ、という感想をいだく。

 もちろん、いずれにせよ、一生勉強して、実力をつけ切磋琢磨しないといけない
ということだけは言ってあげたいと思う。

 自分のことを考えるとよかったのかどうだったのかわからないところがある。
国立の有名大学を出ていてそのことをよく話題にされる。

 個人的には「東大」とブランド名ばかり言われてイライラすることもあるが
そんなことを言えばまた誤解されそうな感じで
ある意味「十字架」みたいに背負って歩いている。

 別に「東大」に入りたいと思ったわけでもないし、
などと言い出すとまたいろんな声が聞こえてきそうだ。
たまたま試験問題が僕にとって点数の取りやすかったもので
(特に不得意の数学で自分でもびっくりするくらい解けてしまったので
確かにこれだとひょっとすると・・・なんて感覚はあった)
偶然というか運良くというか合格してしまったのである。
(不謹慎とかカッコよすぎるとか言われそう?)

 50年も大昔の受験当時得意だったのは「英語」で
こちらは若干自信があった。
受験では「国際キリスト教大学(ICU)」というところに入りたくて
高校二年の夏休みにキャンパスを見学にもいって準備していた。
武蔵野の緑豊かな自然の中で女子大生たちが楽しいそうに歓談しているのを目にして
絶対こにくるぞ、と決意を固めた。
アメリカそのものの学園風景で、大阪の高校生には憧れが実現したように映った。

 とにかく受験科目は英語だけみたいなものだから
ある意味楽チン。
東京で学生したかったからこれに通ればいい、そんな気楽な受験生でもあった。

 せっかく東京で受験するのだからと国立大学の東大と東京外大と受験票を受け取った。
高校の先生からは絶対通れへんでぇ、と言われていたが
まぁICU通ったらそれでよろしいねん、と言って書類を出した。
ICUの発表前に試験があったから東大も受験した。
ICUに合格したというので外大の方は受けなかった。

 二つ合格通知をもらってどうして最終的に東大に決めたのか今となってはよく分からない。
一旦はICUに行こうと決めたような気がする。
とにかく入学手続きはほとんど終えていた。
奨学金をもらえる資格はあったが辞退した。
寮へ入る書類を書いてオリエンテーションの説明も受けた。

 同じような新入生と話をした。
彼はアメリカンサービスで高校生で一年間アメリカに留学して帰国したと語っていた。
なんかすごいやつばかりいるなぁ、そんな印象を持ったことを覚えている。

 ところがそんな寮を抜け出して東大に入学してICUを辞めてしまったようだ。
なんであんな決心をしたのだろう。
いまだったら両方に籍を置いてゆっくりと両方の単位を取るとか
いろんなことを考えられただろうになぁ、と思う。

 東大でフランス語なんかやって
フランス語もフランス文学もなかなかものにならなかった。
ICUへ行って英語をマスターしていれば
TOEIC900点で国際ビジネス界で活躍するような人間になっていたかもしれないのに・・・

 毎年受験シーズンになると思い出そうとして思い出せない
そんな昔の自分の気持ちの動きを反芻する。
誰にも話したことがないし、話してもわかってもらえそうにない痴呆症前期の繰り言である。

 ICUにするか東大にするか、英語にするかフランス語にするか、
人生の分かれ道ではありました。

○ 名前 これまた昔話

 「東大」というブランドが「十字架」だと書きましたが
もうひとつの十字架は「この人の奥さんはフランス人です」ということ。

 フランス人と結婚している日本人男性は少ないので珍しがられても仕方ないかもしれません。
好奇心を掻き立てる話題なのでしょうか。

 しかし、フランス人と結婚している、ということだけで人を定義されても困ります。
ただ外国人と出会って結婚してどのように感じて生活しているか、
そんなことをうまく伝えられるといいのですが
それもなかなか難しいものです。
人それぞれの個人的な差異と文化による違いと
同じ国の人でも様々です、といった結論と
具体的な意味のある話題と
うまく話をすることがむつかしくなります。

 しかし、いずれにせよ、どこで知り合ってどんな風に結婚したの、と真面目に問いかけられると
一度きちっと話してみようかな、という気になります。
ただもう大昔35年近くにもなるので記憶が定かでないところもあります。
また一方の当事者がいるので若干語りにくいところがあります。
覚えている事実を粛々と述べましょう。

 フランスで日本関係の仕事を見つけ、
ある程度安定した生活をパリで送っていた時期
32歳になっていましたが、
独り者でフラフラしておりました。
私の大学の一年先輩(日本人)がパリの日本語学校で教えていたのですが
フランス人と結婚することになり
私はその先輩の結婚の証人となり、結婚式に呼ばれました。
彼女は相手の幼馴染で同じく証人となった、という奇跡的な出会いでありました!!!
それから結婚に至るまでそれぞれのカップルでいろいろあるように
われわれもいろいろありましたが
それはさておき・・・

 そんな学生仲間をよんで結婚祝いパーティをしたときのことをお話しましょう。
ほかにも女子学生が沢山よばれていました。
記憶に間違いなければそんなパーティに三人のカトリーヌが来ていました。
そのひとりと結婚することになるのでそんな思い出になっているのかもしれませんが
ひとりのカトリーヌはべトナム系の学生で、もうひとりは黒髪の西洋白人美人でした。
三人目は小柄なおとなしそうな控えめな感じのフランス人でした。
(もちろんみんなフランス人でした)

 フランスでも名前に流行があるようですが
家内の年はカトリーヌという名前が多く
クラスに大抵もうひとりカトリーヌがいたようです。
当時そのほかにはフランソワーズとかエレーヌとかアンヌといった名前が多く付けられたようです。
今は日本同様親の気まぐれで名前も乱れているようで
外国かぶれのようなエギゾティックな名前が好んで付けられる風潮にあるようです。

 先輩の結婚式での出会いとともに
なぜか同じ名前の人が三人いたことを思い出すのです。

 ○ 「天地明察」 と 「桐山、部活やめるってよ」 と 「光州5・・18」

 日本の映画が元気なようだ。天地明察DVD
DVDで見たお奨めの最近作の日本映画二本:
「天地明察」と「桐山、部活やめるってよ」。

 いずれも原作があり、
両方共文章でしっかりしており読む価値ありですので
読書も楽しんでください。

 「天地明察」は、幕府の碁打ちの話なのでまず興味を持って本を読みました。
知的冒険談といったところで、安井算鉄は天文学、数学、土地測量と学習し、
最終的には日本国の暦作りという大事業に至る。
旧体制の京都朝廷に挑戦して新たな知的財産をもとに改革していこうとする動きに徳川幕府の政治的やり取りがからんで
興味津津のストーリーに出来上がっている。
小説では味わえないような実際の機器や測量場面など
映画ならではという映像化に成功しています。

 「桐谷、部活やめるってよ」の方は原作の小説と全然違っています。桐島DVD
しかし映画として成功しているといえるのではないでしょうか。
原作を読んだときこれをどう映画にするのかな、と頭をひねりましたが、
脚本を書くのはかなり苦労したと思います。
頭を悩ました結果、完全に原作の枠から離れるように決めたのだと思います。
そしてストーリーは換骨奪胎され、精神・エスプリを抽出しようとしたというところでしょうか。
作品の持っている若者・高校生の感受性のみずみずしさを別の形で映像化するのに成功していると思います。
 
 三つ目はちょっとシアリアスな映画です。
「光州5・18」という韓国映画で、実話をもとにした作品です。
ウイキペディアによると
「5.18光州民主化運動(5.18こうしゅうみんしゅかうんどう)は、
1980年5月18日から27日にかけて大韓民国(韓国)の全羅南道の道庁所在地であった光州市で発生した、
民主化を求める活動家とそれを支持する学生や市民が韓国軍と衝突し、多数の死傷者を出した事件」だそうです。
韓国でもついこの前まで戒厳令が出ていたことを思い出します。
民主主義の危うさ、そして、世界の変化のはやさにも驚きます。
 

 今回はこれくらいにしておきます。
最後までおつきあいありがとうございます。
◎うごくもの うごかないもの -人・企業・不動産-
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