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お知らせ

25-045. メルマガ「うごくもの うごかないもの」 平成25年10月号送信

25-045. メルマガ「うごくもの うごかないもの」 平成25年10月号送信

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     うごくもの うごかないもの
       ー人・企業・不動産ー
        平成25年 10月号
       まぐまぐ ID 99461
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  第一部 
 ○ 原発
 ○ 選挙の恐ろしさ、不可思議さ
 ○ 自分の足で立っていること 自立、対等

  第二部
 ○ 入院生活
 ○ 入院生活 その2
 ○ 紅白歌合戦
 ○ ノーベル文学賞
 ○ DVD

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  第一部
   第一部では、最近の世の中で話題から感じたこと、考えたことを書いてみましょう。

 ○ 原発

 相変わらず福島ではミスが発生し事故を制御するところからは程遠い。
「UNDER CONTROL」など大見得を切った発言は空恐ろしい気がする。
現在わかっていること、できることはここまでである。と正直に現時点での現状認識を正確に示し、これからの一歩一歩をプラスのものとして発表してみんなに納得してもらうべきではないのだろうか。外国メディアからは日本の発表はまったく信用されていないようだ・

 私は原子力発電、事故、放射能といった専門的な問題には今までもまったく無関心であったので、これらについて建設的な議論ができるとは正直思っていない。
ただ不安や疑問だけはでてくるので、以下ような基本的な点についてお教えいただきたいと思っている。

1) 現在日本国内では全ての原子力発電所は停止しているのでしょうか。
2) 原発がないと電力供給が不十分になると説明を受けたように思うのだが、それは今も変わらないのだろうか。夏には停電する心配をしていたが、現在原発稼働なしで電力供給は賄えているのであろうか。
3) 原発稼働なしでも現在の経済活動をやっていけるのだろうか。不可能なのだろうか。そのような発表はどこかに載っているのだろうか。

 別の次元の素朴な疑問もあるので、それも書き抜いてみる。

 「工学」という分野の研究・活動において、絶対に安全ということを保証できるのだろうか。絶対にじこを防止することが出来ると明言できるのであろうか。
素朴な人間としては、「そりゃー人間のやる事なんだから、間違うこともあれば、忘れることもあり、失敗することもありあるだろう、それが人間と違うのですか、それが人間そのものでしょう」ということになるのだが・・・
それでも、そんなことを修正して回復して進歩してきたのが人類の歴史だろう、科学の進歩だろう。
失敗・間違いもリカバリーできる範囲内で行われてきたのだろう。

 ただ、放射能の場合1年や2年で元に戻る話ではないだろう。
何百年先の子孫へツケを回すことになるのではないのか。
30年先の国民に借金を残すことについて大いに議論されているのに、この原発や放射能の危険についての議論はあまり聞いたことがない。

 もし原発が完全に安全であるというならば、僻地や貧しい地域に建設するのでなく大都市という電力消費地に近い東京湾か利根川に建設すべきであろう。送電のロスが少なくなるはずだし、現にフランスではパリ近郊のセーヌ川で原発が建設され稼働しているのであるから。

 いますぐに原発を全部廃止することが難しいというならば、なにか妥協案はないものか。
正直これからも事故が起こりうるだろう。
人間のやることに完璧は期待できない。

 そう考えると、できれば原発稼働を止めたままで今までのようなレベルを維持していく方法はないのか。
あるいは、どの程度まで経済や生活レベルを落とせばいいのか、耐えられるレベルなのかどうか議論すべきではないだろうか。
いずれにせよ、「命あっての物種」とすれば、最終的にはいつかの時点で「原発ゼロ」を目標として設定せざるを得ないのではないか。
それに至る道のり・工程表はすぐに出せないにしても、最終的な目標はそこにしかないと据えて、その方向への議論を避けることはできないのではないか。
原子力が高いか安いかといった経済的レベルでの議論をしても意味がないような気がする。

 最近こんなことを感じたので書いてみた。

 みなさん いかがお考えでしょうか。

 ○ 選挙の恐ろしさ、不可思議さ

 先日参議院選挙があった。
もっと最近には堺市長選があった。
これら選挙の報道を垣間見て、以前からの印象は変わらないが、
やはり選挙というのは何やらおどろおどろしいものだと確信するようになった。

 まず、政治には金がかかるらしいというお話。
特に選挙運動には金がかかるようだ。

 参議院選での徳洲会の選挙違反の話題。
選挙違反までして票を集めないといけないという状況の認識。
徳洲会やあるいはワタミといった大きな組織の長であれば、
選挙の事前でなくとも毎日の活動の中で政治家としての資質や活動をアピールすることは比較的容易なはずだ。
それすら日々のなかで行えないとすれば、そちらの方が問題だろう。

 選挙運動には金が掛かるという。
候補者は、お金を使えば票が集められるという「悪の囁き」に乗ってしまうということなのか。
立候補者がお金を使うのは勝手にやらせればいいではないか。
お金をもらったからといってその人に投票しないといけないわけではないだろう・
お金だけもらって投票しなければ、お金を出す方も少しは考えるだろうに。
選挙でお金がたくさん使われればデフレ対策にもなるではないか。

 徳洲会病院のような大きな組織、ワタミのような有名企業でも票を集めるのに苦労する。
維新の会の橋下さんも票集めに苦労する。
そんなにまでしないと支持を得られないか。

 一票を獲得するのに一生懸命頑張る。
よう分からん。
恐ろしく危ういことだけはわかる。

 選挙で何が証明されるのか。
選挙運動に割かれたエネルギーは何のためか。
世の中をよくするためのエネルギーだったのか。
選挙の結果何がわかったのか。
 

 ○ 自分の足で立っていること 自立、対等

 リンカーンをテーマにしたDVDを4本ほど見た。
奴隷解放が争点となってアメリカ合衆国を二分する南北戦争では多くの血を流すことになり、
その紛争の中で凶弾に倒れ暗殺されたリンカーンがやっと戦争に勝利し
平和回復への道のりを進み始めた時期に、
黒人が感謝を伝えようとリンカーンの足元に跪く。
 
 その黒人奴隷に対して
リンカーンはこう話しかけながら黒人を立ち上がらせる:
あなたは自由なフリーな人間です。

 たまたまDVDでオペラを見た。
シェイクスピア原作のヴェルディの「オテロ」である。
武将オテロは北アフリカのムスリム、ムーア人であり、肌は黒い。
妻デスデーモナについての不義の話に惑わされて彼女を疑い最終的に殺害するお話である。
(ご存知のように「オセロゲーム」はこの黒人と白人との物語の展開に由来して、囲碁と同じように黒い石と白い石によってプレーされる)
さて、その第三幕でオテロは妻を責め地に伏せるよう命ずる。
デスデーモナが舞台で顔を地につける場面は衝撃的である。
ミラノのスカラ座の観客の息を呑む衝撃が画面から伝わってくる。
愛されていたはずの妻は屈服してすべての方向性を失ってしまう。

 おそらく人は二本の足で立っているあいだは大丈夫だ。
天に向かってそびえたち、天を目標として指差している間は「人間」として存在しうる。

 どんな相手とも対等でいよう。
屈服してしまわないで。土下座しないで
独りでも凛と立ち尽くそう。

 ボクシングでも立っているあいだは大丈夫。
相撲でも土をつけられないようにすることだ。
年をとっても寝たきりでなく二本足で 立つ気概を堅持しよう。

 人生最期の瞬間には、すべての人間が「死神」に打ちのめされるにしても
死ぬまではしっかりと「人間」でいよう、対同類に尊厳をもって付き合おう。
 

  第二部

   第二部ではもう少し私的なことを書いてみたい。
 
 ○ 入院生活

 8月30日に入院して10月4日に退院したわけだから、計35日間病院にいたことになる。
こんな表現がありうるのかどうか知らないが、足掛け3ケ月ということになる。
いずれにせよ、9月という月はまったく病院のなかで過ごしたわけだ。
いい経験をした。

 入院生活の総括としてまず第一に思いつくのは、
「あちら」と「こちら」と、二つの世界に遮られたような感じがしたこと。
「こちら」から「あちら」のことはよく分かるが、「あちら」から「こちら」のことは分からないだろう、といった奇妙な確信、超越したようなへそ曲がりな視点。

 そして、・・・
夜から翌朝までの闇の時間がめったやたらと長く感じられること。
夜の9時10時から朝ごはんの7時過ぎまでたどり着くのが至難の業である。
何度も目を覚ましては闇と対決する。
特に丑三つ時の1時2時から朝の明るさが再発行される4時5時までは
時間は均等に流れない。
時間はよく詰まる。暗闇も詰まる。
時々逆流していないかと疑う。

 そこでいろいろ脳内の知恵を集中して頭を捻る。
眠ろうとする努力を止め、時計の運動を監視して、1時間あるいは30分毎に分解する。
3時を過ぎ4時が間近に迫れば「勝利」は確実にやってくる。
焦る必要はない。
60分に添い寝してやれば60分が次の60分へと引き継いでくれる。
そしてそのうちに想像上の鶏の「ときの声」が僕にだけ聞こえる:
さあ、これで今日一日大丈夫。

 暗い闇の波を突き抜けたのだ。

 時間さえすぎれば次の日には目が覚めることを約束されている場合はまだ耐えやすい。
毎晩明日の朝について不安を持って目を瞑る病人にとってはさぞかし苦痛はさらに深い。

 夜を越しながら自分なりに感慨を言葉にした。
日本の詩法では季語がないと俳句として認知されないようなので、
取り敢えず自分では「五七五」と称して歌を詠んだ。

 「夜を越す」 こんな言葉の 深き闇

 闇の時間をあらゆる病院内で共有する人々との連帯感を感じた。

 ○ 入院生活 その2

 病院で奇妙な夢を見た。

 手術は無事に終わった。
30代の若き外科医は手術内容とその結果を病室に来て説明してくれた。
満足げで余裕のある笑顔が印象的だった。
説明も明快であった。

 ベッドで外科医の説明を聞きながら、何か奇妙な印象を持った。
気がついた:
外科医は右腕を骨折したように白い布で肩から吊るしているのだった。

 ぼんやりとした夢の中で考えていた:
右腕右手が不自由になればこの外科医はどうするのだろう、
一般的に利き腕・利き手が使えなくなった外科医はどうなるのだろうか。
仕事ができなくて失業してしまわないだろうか。
失業手当をもらえるのだろうか。
その後で自分のことに思い至った。
もし明日にでもこのドクターの技術が必要になれば一体どうすればいいのだ。
病院のベッドでの夢の中そんな思いみ震え上がったようだった。

 病院での奇妙な面白い夢だった。

 ○ 紅白歌合戦

 大晦日に行われるNHKの紅白歌合戦は日本の国民的・国家的事業だろう。
30年も40年も昔のことになるが、フランスで生活している時、多くの日本人滞在者が番組のビデオを手に入れて楽しんでいたのを思い出す。

 僕自身は、この男と女を二つの組みに分け互いに点数を競い合わせる方式に、理論的に・思想思考的に違和感を覚えていた。
男女が平等で、調和をもって社会を構成して生活していくには、男女が細部にわたって混じり合っているべきだ、そんな考え方をしていたから。
学校で出席をとる場合も男子生徒から始めるのをやめ、「あいうえお順」であれば男女の別なく読み上げるべきだと考えていた。
民主主義の社会では男女が同じ平面に混在するのが理想のように思えた。

 だから、女性歌手を紅組と称し男性歌手を白組として、二つを対立させる思考方式には賛成できなかった。

 ところが、最近の国際的なニュースを見ていると、国によって社会によって女性の立場・地位・教育といった分野で僕などの感覚では分からないほどの大きな違いがあるようだ。
女性を対等の存在として認識していない社会(男だけで社会が構成されているのだろうか)、が広く存在するようだ。

 翻って日本の「紅白歌合戦」を考えてみると、日本においては女性は男性との対立項として、対等のあるいはそれ以上の力を持ちうるものとして、社会的にも心理的にも認められているということになるのだろう。
女性の方がより魅力的であり紅組が勝利を収めることが多いようだ。
男が勝ったり女が勝ったり、こんなことで国中一喜一憂している国民が他にいるのだろうか。
不勉強にしてしらない。

 これからは企業・社会・経済構造においてまったく対等なものになるために、企業・社会・経済をどのように作り上げていくかということなのだろう。

 
 ○ ノーベル文学賞

 あの騒ぎは一体なんだったんだろう。
我が日本の村上春樹大先生の受賞の可能性が大いに話題になり
当日夜8時の発表をテレビ・新聞などがファンと一緒に待機していた。

 ところが実際受賞したのはカナダの女流作家アリス・マンロー氏。
日本のメディアの対応は非常に極端であった。
手のひらを返したように、発表前の大騒ぎぶりから極端に反対に、ノーベル文学賞に関する報道はほとんど姿を消してしまった。これは一体どうなっているのか。何を意味しているのか。

 日本メディア的には、受賞を逃したことなのでニュースにならない、といった点はあるだろう。
しかし村上の代わりに受賞したアリス・マンロウについてもっと時間や紙面を割くことをどうしてしないで口をつぐんでしまっているのか。

 誰もが知っているように「村上春樹」は世界的に商業的に成功したブランドであり経済的にも儲かっているので、いまさら文学的価値がどうのと評価を高めても内輪のファン仲間では意味があっても世界の文学界においてそれほど意味があるとも思えない。
(このようなコメントからすぐ推察できるように筆者は決して村上春樹の愛読者でも理解者でもない)
もっともっと他に資金を使うのが賢明であり、アリス・マンロウの名前を知っただけでも意味があったと思う。

 この件について日本の報道陣が、オリンピックで日本がいくつ金メダルを獲得したといったことと同じレベルで関心の重点を置いていたとすれば、なんとも惨めな悲しいことだが・・・

 ○ DVD
 
 お薦め、話題作
  ☆☆☆☆  闇の列車、光の旅 2008年 アメリカ、メキシコ
           ホンジュラスからメキシコを通ってアメリカへ入国しようとする物語。
           恐ろしいメキシコの組織。
  ☆☆☆☆  パーフェクト・ワールド 1993年 名作。
          クリント・イーストウッド監督。ケヴィン。コスナー、イーストウッド主演。
  ☆☆☆☆  プライベート・ライアン 1998年 スピルバーグ監督。トム・ハンクス主演。
          ライアン演じるマット・デイモン。戦場の恐ろしさ。よくできたストーリー。
  ☆☆☆☆  声をかくす人 2010年 リンカーン暗殺事件の裁判。法。
          ロバート・レッドフォード監督。
   ☆☆☆  アルバート氏の人生   男性社会での<おんな>
   ☆☆☆  東ベルリンから来た女 自由を奪われ監視下に置かれた市民の状態。 北朝鮮を彷彿とさせる。
         それでも通う気持ち・こころ。
    ☆☆  リンカーン 2012年 スピルバーグ監督なのですごいのだろう。
          しかし本当言うとよくわからない映画。リンカーンは偉大だったのか。
          奥さんとの葛藤、家族の問題があったことはよくわかる。
          戦場で血を流す戦いと同じくらい議会での戦いが大変であることを示そうとしているのか。
          よう分からん。

 日本映画
    ☆    金環蝕 1976年 石川達三原作 仲代達矢主演 宇野重吉が面白い
   ☆☆    ぼんち 1960年 原作山崎豊子。 市川雷蔵主演、市川崑監督。
   ☆☆    破戒  1962年 島崎藤村原作。部落民の話。市川崑監督、
                  市川雷蔵主演。こんなに複雑な話だったけ。原作を注文。
  ☆☆☆    金融腐蝕列島[呪縛] 1999年 役所広司、仲代達矢 原作高杉良
                  早いテンポ(ハリウッド映画のスピード感)がいい。
                  内容的には今も問題。現実の実名がすぐ思い浮かぶ。

 フランス映画
   ☆☆    ラブ・クライム 2010  リュディヴィーヌ・サディエ、
                  クリスティン・スコット・トーマス 現代的騙し合い。
 
 イタリア映画
   ☆☆    ローマ、恋のビフォーアフター
  ☆☆☆    シチリア シチリア 2009年。
          イタリア 不思議な国。イタリア人 共産党とファシスムが共存して
          不思議でない国民。笑い・ほら・想像力。家族・イタリア女。

 エンタテイメント、コメディ
    ☆   ワーキング・ガール 1988年 ハリソン・フォード主演。
   ☆☆  ゾンビーランド 2012年 結構面白い。楽しめる。
    ☆☆  ノックは無用 1952年 マリリン・モンロー、リチャード・ウイッドマーク。
           マリリン・モンローの恐ろしいまでの神経の揺らめき。
    ☆☆  人生の特等席 2012年 クリント・イーストウッド監督主演。
           楽しいエンタテイメント。
     ☆  ティファニーで朝食を 1961年
            オードリー・ペプバーン主演 トルーマン・カポーティ原作。
    ☆☆ リトル・フィッシュ 2005年 ケイト・ブランシェット主演。
            麻薬犯罪、カタギに生きること。

 
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