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24-027. メルマガ 「うごくもの うごかないもの 人・企業・不動産 平成24年7月号

24-027. メルマガ 「うごくもの うごかないもの 人・企業・不動産 平成24年7月号

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     うごくもの うごかないもの
       ー人・企業・不動産ー
…         平成24年 7月号
       まぐまぐ ID 99461
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  第一部 

 ○ 緑橋 店舗 10坪
 ○ 「クールビズ」
 ○ 「我を忘れて」
 ○ 他流試合
 ○  自然体

  第二部

 ○ 年齢のこと
 ○ 49、50、51
 ○ 最近読んだ本
 ○ 最近見た映画

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  第一部

 ○ 緑橋 店舗 10坪

 緑橋には地下鉄が2本も通っているのである:
まずは中央線で、ビジネス街中央区は本町、堺筋本町から
谷町4丁目、森ノ宮を経てひとつ東に行くと緑橋、
更には東大阪長田から近鉄線となって学研奈良登美丘まで向かう。
二つ目の新しい地下鉄路線=今里筋線は南北に走っている。
残念ながら今里ロータリーが終点で、
その先生野区への連絡延長は今なお無視されている。

 その交通の要所緑橋交差点近くに10坪の店舗を購入した。
駅に近く中央大通りに面している好立地なので喜んで購入した。
それにつけても「不動産は縁のもの」というのを実感する。

 確かに縁があってこそ不動産を手に入れることができるので
取引がスムーズにいくときはまったくスムーズに安心して行われる。

 不動産は、
求めたからといって
欲しいからといって
なかなか手に入るものものではないようだ。
自然と手に入る不動産、そんなものもあるようだ。
 
 この好立地、どこか借りてくれるところがないか、
これからの仕事だ。
看板を付けテナントを探すことになる。

 ○  「クールビズ」

 事務所で仕事をしていると、この季節どうしても「クールビズ」という言葉を聞かないわけにはいかない。
会社のブログにも書いたが、
「クールビズ」と称して行われていることにとりたてて異論を唱えるつもりはない。
 「クールビズ」で引っかかるところがあるとすれば、
なにか発想から「引き算」ばかりのようだからだ。
ネクタイを外す、上着を着ない。
マイナスばかりのような気がするからだ。

 そして言い訳として「クールビズ」を使っているようだ。
ちょっとだらしない服装ですが「クールビズ」ですから・・・

 日本の男性サラリーマンのオシャレはどこで何をするのか。
特に年輩者にもっと衣食住の衣の消費を刺激すべきではないか。
「クールビズ」で男の消費を掘り起こすような運動は作り出せなかったのか。
ネクタイや背広の需要を減らしては決してデフレ経済脱却の策とはならないだろう。
首回りを締め付けないシャツやネクタイをデザインできないものか。

 われわれの年代になると同窓会で出ていくことが多くなる。
同窓会出席ファッション、夏のコーディネート、秋のコーディネート、などと
オシャレを売り物にして流行を作り出すことはできないものか。

 年輩男性の財布から金を引き出す仕組みがないか、
頭をひねる今日この頃である。

 ○ 「我を忘れて」 

 不愉快に感じることが多い。
年のせいだろうか。

 自分のことばかり考えている人が増えているのではないか。
他者意識をもって物事に当たるよう、社内でも話している。

 自分の弁護をしたり、自分のアリバイ作りのための動き・行動・話は止めて
相手のための実効力のある進め方を心がける。
損得を考えず、見返りは二の次にして、とにかくやってみる、
人のために尽くして見る、役に立ってみようとする。
一生懸命やったときは「我を忘れて」やったときだ。
相手にとことんついていってみよう。
そんなことを話している。

 ところが・・・
弊社を訪れる大抵の営業マンは自分の売りたいものを売ろうとするだけ、
こちらの様子も知らないで、
知ろうともしないで・・・
ホームペーも見ていないし
なにを求めているか尋ねることすらなく
自分たちの規格の商品を売り込もうとする。

 保険会社や証券会社だけではない
銀行も自分たちの手数料稼ぎに忙しい。

 だれが客のことを親身になって考えているのか!
おそらく自分の身は自分で守るしかない、
実力をつけるしかない。
誰にも頼ることはできない。

 そして、これと感じられる人たちと
誠心誠意「我を忘れて」付き合うことだ。 
「我欲を忘れて」付き合うことだ。
人のために動こうとすると自分が考えているよりも力を発揮することができるのだが・・・

 ○ 他流試合

  数人のお仲間と女性インストラクターについて囲碁を勉強している。
彼女がご主人のプロ棋士と一緒になって主宰している会に
日頃の碁打ち仲間と一緒に参加させてもらった。

 多数の会員が参加しており、我々にとっては初めての他流試合となった。
成績は2勝2敗とまあまあだったが、
初めて対戦する相手に対して慎重に変な手を打たないように心掛けた。
知らない人と戦うことになり非常に新鮮で刺激になった。

 日頃会社では「どこの会社に行っても通用する人材になれ。
そのためには実力をつけることが大事だ」
などとカッコイイことばかり言っているが、
今回のように仲間内で囲碁を打つのでなく他流試合を経験して
自分の言っていたことを実感することができた。

 仲間内のなあなあ気分、「井の中の蛙」ではだめで、
他者との比較・競争に勝ち抜いていかなければならない立場を体験することができた。

 ○ 自然体

 7月になり、組織や団体によっては年度が替わり体制が変わるところも多い。
新たに会長に任命された人の挨拶やスピーチを聴くことがある。

 それなりの人が選ばれているので、みなさん上手くお話をし役割を果たされているが、
従来存じ上げているイメージと違った側面が覗え、へえー、と思うこともある。

 好感をもてるのは、会長になっても急に堅苦しくなるのでなく、
自然体で対処されている場合である。
そのときは、そのひととなりが覗え、素直にお話をお聞きでき、
従来と立場や関係が変わっても安定してやっていける。

 自分が逆の立場に立った場合、急に畏まってしまわないかどうか、
自然体で行動できるかどうか、はたと自問した。

   第二部

 ○ 年齢のこと

 いつのまにか年を取っている。
他の人と比べて若いと思っていた時期があった。
23歳から日本を飛び出し、40歳で戻ってくるまでのフランスで生活していた時間、
日本のことをある程度フォローし、関心を持ってウオッチし、仕事でもそれなりにコンタクトを持っていたが、
それでもその期間についてはほとんどブランクに近いといえる。

 40歳で日本に戻って来た時その17年の空白期間を飛び越えて
玉手箱を開ける前の浦島太郎のように若いままのような気がした。
少なくとも同年齢の人々より10歳は若いのではないか、と考えた。
(フランスでは年のことはあまり問題にされなかった、
あまり意識しなかった。)

 ところが日本で生活するうちに
同期作用、シンクロ作用が働くのか、
みんなと同じ年になっていったようだ。
みんなに追いついてしまったようだ。
最近では、嫌なことに、みんなを追い越してしまいそうだ。

 年の取り方は人によってかなり差が出てくるように思えるが、
社会や国によっても年の取らせ方に差があるのかもしれない。

 ○ 49、50、51

 中学の同窓会でビンゴゲームをやった。

 隣の中学・高校との同窓生が一番最初にてんぱった。
「リーチ!!!
51が出たら上がるぞー!
・・・それはそうと51は高校の受験番号と同じや」

 それを聞いて
「へー、僕の番号は49やったから
あのとき一緒に申込に並んだんやなぁ。
そやったら、50番はだれやったんやろう?」

 52年前のお話。
52年前の記憶。

○ 最近読んだ本

 最近またすこし落ち着いて、本を読むことができるようになった。
評論などちょっと難しい本よりやはり小説は読みやすく
ストーリーを追いかけていくだけで読書に埋没できるので
一冊一冊読み終えていく喜びでさらに進んでいける。

 さて最近読んだものをとりあえず書き抜いてみる。

 1)特筆はやはり伊坂幸太郎の「夜の国のクーパー」で
彼の10冊目の書き下ろし長編小説らしい。

 従来から注目していたのですぐに買った。

 帯には次のように書かれている。
「どこか、不思議に、なつかしいような、
誰もがまったく、読んだこと、のない、
 そんな破格の小説をお届けします。
これは猫と戦争、そして何より、世界の秘密についてのおはなし」

 猫のトムの語りにはワクワクする。
引用:
「欠伸が出る。
人間からすれば、欠伸はどこか長閑で太平楽な気分の象徴らしく、僕たちがそれをするたびに、
「のんきでうらやましい」と皮肉めいた言葉を投げかけてくる。
言いがかりだ。
・・・ようするにこういうことだろう。
不安な時であろうと恐怖を感じている時であろうと、欠伸は出る時には出る。
快い時に、喉がごろごr鳴るのと同じなのだ。
 耳の裏側を後ろ足で掻き、前足を舐め、その唾で今度は目を撫でる。
尻尾が顔のすぐ横で揺れる。
意思と無関係という意味では、尻尾の動きも同じだった。
体の一部であるにもかかわらず、分離した存在であるかのように、こちらの意思とは無関係に動く。
 揺れて、くねり、立ち上がり、時に膨らむ。
 つかず離れずの友人といったところかもしれない。
「警戒したほうがいいぞ」であるとか、「怒れ!」であるとか、僕の感情を先回りし、表現してくれる。
それが、尻尾だ。
 きっと僕がいつか死ぬことがあっても、それは非常に残念ではあるがいつかやってくる場面ではあるだろう、
とにかくその時にも、鼓動を止め、動かなくなった僕の体を、僕の尻尾がそっと撫でてくれるのではないか。
頼もしい、と感じる一方で、もどかしさもある。」

 出だしのこんな語り口からワクワクする、ドキドキする。

 話は複雑だ。
テーマは考えだせばとてつもなく奥深い。
しかしストーリーテラーとしての伊坂は軽やかに読者を引っ張りまわしてくれる。
安心して心地よい「伊坂ワールド」に滞在することができる。

 文章には節度がある。読者への媚や衒いはない。

 このひとにノーベル文学賞を与えたいと、密に願っている。

 2)橘玲「かっこ日本人」幻冬舎 を読みました。
従来の日本人論をすべて覆すまったく新しい日本人論!!
という帯が正しいかどうかは別にして、
いろいろ考えさせられる論点がありました。

引用 2つ:

 そのひとつ「無限責任と無責任」
… きわめて過酷な、範囲の定めのない”無限責任”を要求する社会は、
結局どこにも「責任」をとるひとの人間のいない奇妙な”無責任社会”を生み出した、ということ。

 <他者>について
引用:
日本がグローバルスタンダードのくにに生まれ変わることはものすごく難しい。
それは、日本の社会に<他者>がいないからだ。
・・・日本がグローバルスタンダードのくにになるためには、その前にまず、社会がグローバル空間に変わらなければならない。
グローバル空間とは、包摂できない<他者>と共存せざるをえない世界のことだ。
 ところが日本社会では、他者はイエに包摂されるか、さもなくば排除される。
この二者択一で社会の秩序が維持できるかぎりは、ローカルルールを変更する必要はない。
 グローバル空間では、包摂することも排除することもできない<他者>が、あなたに対して「同じ人間として平等に扱え」と要求する。
<他者>とは、具体的には、人種や宗教、文化や母語が異なる非日系日本人のことだ。

 3)「舶来屋」幸田真音 新潮文庫

 日本の銀座に戦後の混乱時からエルメス・グッチ・セリーヌなどのブランドを導入した人の実話を小説にしたもので
時代の移り変わりもよく分かり、若い人向けの教科書にも使えそう。

 ○ 最近見た映画

 1)ウッディ・アレンの「ミッドナイト・イン・パリ」を見ました。

 見た直後の第一の感想としてこんなことを書きました:

 「確かにいい映画です。
楽しい映画です。
パリらしい映画です。
 しかしちょっと昔風のパリです。
典型的な、みんなが想像する通りのパリです。
 アメリカ人が夢見るようなパリです。
1920年代ヘミングウエイやフィッツジェラルドが滞在していた時代、ピカソやダリやシュールレアリストが活躍していた時代。
 時代が重層し、文化というのは積み重なりだと感じられます。
マンガチックでアメリカ的で楽しいひと時を過ごす娯楽作品に仕上がっています。
安心で楽しい作品です。
観光地パリ。」

 大きく話題になったらしくウイキペディアにも取り上げられています。
フランス前大統領サルコジ(こちらもウイキペディアにのっています)の
三番目の現在妻(まだ離婚していないようです)でファッションモデルのカーラ・ブルーニ(ウイキペディア記載あり)が
美術館の案内人として出演しているのも話題になったようです。

 ただこの映画については後でもっともっといろいろ付け加えたくなりました。
特に以前にはそこが魅力であったのだが、ウッディ・アレンに辛口さがなくなってしまって
残念だと感じました。
人のいい上手なエンタテイナーになってしまったようです。

 2)その後
同じユダヤ人で曲った鼻を気にする醜男ゲンスブールの映画を
DVDで見ましたので余計その対比が気になりました。
ゲンスブール(ウイキペディア参照のこと)は
三番目の妻ジェーン・バーキン(ウイキパディア参照)と一緒に行った
スキャンダラスな作品・活動が特に有名ですが
音楽的芸術的才能には恵まれていて
女性には大いに持てたようです。

 浮名を流した有名女優・歌手は多い:
ブリギット・バルドー、ジュリエット・グレコ。
彼のエロっぽい歌詞は若いフランス・ギャルには理解できていなかったらしい。

 成熟した男性誘惑者の現物で、フランス人のある種のイメージに合致していたようです。
映画「ゲンスブールと女たち」はそんなユダヤ人醜男の彼の伝記物語で
淡々と語られていて好感が持てました。

 楽しめるので、お勧めです。

 3)「人生、ここにあり」

 これは、2008年製作のイタリアの映画で、DVDで見ました。

 1978年バザーリア法の制定で、イタリアでは精神病院が閉鎖され、
患者たちが一般社会で暮らせるように協同組合組織にしたらしい。
そんなところに放り込まれた組合活動熱血漢ネッロと患者たちグループの実話に基づいたお話です。

 イタリアでなければ考えられないようなストーリー展開で、心温まる内容です。
人と人との結びつきや組織とかを考えると、コミュニティとか共同体とかいう言葉を思い付きますが、
イタリアでは労働運動が日常生活の中に今なお根付いている様子が覗えます。
そんな環境の中で、全員参加の「会議」が開催される様が面白い。
また、精神病患者を演じる俳優ひとりひとり個性的で素晴らしい。

 これまた、おすすめです。

 今回はこれくらいにしておきます。
最後までおつきあいありがとうございます。

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