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28-015 「うごくもの うごかないもの」平成28年4月号

アップ忘れていましたので・・・

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うごくもの うごかないもの
─ 人・企業・不動産 ─
平成28年 4月号
まぐまぐ ID 99461    (KS)
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うごくもの うごかないもの 2016年4月号

● まだら模様

最近の状況を表現するのにどういう言葉がいいか頭を悩ましていたが、
「まだら」いう言葉を思いついた。
全ての点で焦点が絞れない。
どこからどこまでが一つの問題なのかわからない。
この点とあの点とがどうも繋がらない。

認知症の「まだらボケ」の状態である。

不動産市場も、いいところ、わるいところ、まだら状態である。
いいところのすぐ近くでもいいとは限らない。

まさに難しい時代だ。
これからますます自分個人の一人一人の見識を問われる時代のようだ。
● 消費

なんとなく消費というのは悪いものだと刷り込まれてきたような気がする。
生産はいいものだ、作り出すことはポジティブなことで
それに反して、消費はマイナスのイメージ、消費はほとんど浪費と同意義とみなされている。
男が生産し、女が消費する、みたいな対比が成り立っていた。

最近自分の身の回りを整理し、本当に大切なものを見極めようと考え出して、
このような従来の認識に疑問を持つようになった。
まず自分が現在持っているリソースを100%使い切ることを心掛けないといけないのではないかと考えた。
もう二度と着ないだろうセーター、いつ読むのかわからない本、顔も思い浮かばない人の年賀状・・・

大事なのは大事なものをとことん使いつくすこと、消費しつくすことなのではないか。
消費されるからこそ生産が行われるのではないか。
消費されないのに生産するのは トヨタ生産方式にも反しているだろう。
消費が生産を引っ張っているのだ。

人間関係についても使い切れるよう心がけてみようと思う。
一人一人の人との付き合いをとことん使い切るようにしていこうと思う。
SNSの専門家に言わせると人は150人以上には気を配れないらしい。
FACEBOOKの「お友達」を150人以下に限定しその関係性をとことん消費しつくそうと考えた。

● フランスのこと

3月26日から31日までフランスのパリに会社設立50周年記念の社員旅行に出かけるつもりであった。
ところが17日転げて骨にひびがはいって急遽入院する破目になった。
社員は無事フランスへ行ってきたのでまたその報告をしてもらう機会を作りたいと考えている。

僕個人としても、フランスとの付き合いもとことん消費したいと考えている。
フランスに長く滞在し生活していたのにまったく不十分にしか味わっていなかった、食べていなかった、と最近痛感している。
パリという空間とパリという時間の歴史的重層を貫き通して表現できないものか、と自問している。

八尾で生まれて大阪から東京、そしてパリで「第二の生」を味わったつもりの人間が、なんとかその感覚を伝えたいと焦っている。

4月26日から1週間の予定でフランスのグルノーブルに行き囲碁の会に参加する。フランスと囲碁とが交差し交錯する。人生の二つの面が重なり合う。
面白い、しかし妙な感じだ。

3月にフランスに行けなくなったのは17日に転んで骨にひびがはいったからだ。
一歩も歩けず急遽入院、とんでもない忘れられない誕生日になった。

痛いというのは生きてる証拠、と痛感した。

そしたら、死ぬというのはどんな感じ?

フランスへ行ってもその答えは出てこないだろう。
● 糞まみれ

肉体が不自由で寝たきりだと一番困るのは「しも」の世話である。
文字通り糞まみれにならざるを得ない。

心の中で「くそっ!」と罵りながら、人間は糞からできていることを体感する。

汚れを水に流すことはできるのだろうか。
疑問に思う。

そうすると、肉体を火葬することは理に適ったことかもしれない。

水は火を消すが、火はすべてを燃やし尽くすかもしれない。
すべての最後は火なのだろうか。
● キャッチボール

「28年目の甲子園」という映画を見た。
高校野球全国大会に出場できなくなったチームが28年後に甲子園を目標にするお話である。

大会後に参加者はグラウンドでひとりの相手とキャッチボールをすることになっている。
面白いルールだ。
相手を誰にするのか。
人生のパートナー、配偶者・・・

そしてそれに向かって投げている自分はなにものか。

親子で投げ合うケースもある。

キャッチボールは、対話である。
独り言でなく。

いまいたるところで行われているのは、ツイッター。
ツイッターというのは、無数の大衆という大海に釣り糸を投げ出しているみたいなものだろうか。
あるいはつぶやき手は聴き手を想定しているのだろうか

思えばわれわれの行為はすべてキャッチボールである。
スピード、コース、球種、色んなヴァリエーションを選択するのはわれわれだ。

相手との合意の上で行われるキャッチボールと違って、
ピッチャーとキャッチャーの間に
第三者がバットで球を打ってくることもある。
打たれないように球を投げないといけない。

球の投げ方もいろいろあるということだ。
● 「ボクは坊さん。」

お坊さんの世界を軽妙にそれでいて結構糞まじめに描き出していていい映画だと思う。
お薦めだが、ここで話したいのは「坊主頭」のこと。

中学へ入るとき「坊主頭」にしないといけないと散髪屋に行った。
山本の「美人館」でバリカンをいれられたときの無念さを覚えている。
裸の頭を見て恥ずかしかった。

大阪市内の中学校では男子は全員丸刈りだった。
「絶壁」といったあだ名をつけられた同級生もいた。
ただひとり男のくせに坊主頭でないのがいた。
ドイツ人だという。
なんとなく違和感があったがそんなものかと思った。

その中学の卒業式では普段の名前と違った名前で呼ばれる同窓生がたくさんいた。

中学の思い出は「坊主頭」とリンクしている。

高校へ入って一番最初にしたことは髪の毛を伸ばすことだった。
髪の毛を伸ばせるということがその高校を選択した理由でもあった。

一年の時安保闘争があった。
授業は休講が多く、学校を上げてデモに出て行った。

安保闘争のあと北朝鮮へ理想実現のために移った人もいたと仄聞したが
あの人たちはその後どうしているのだろうか。

猪飼野界隈を徘徊するたびにそんなことを思う。

坊主頭から北朝鮮まで話が飛んだ。

● ポール・マッカートニーに尋ねたいこと

僕はビートルズ世代だと思っている。

今も元気に歌っているポール・マッカートニーに会えたら
こんなことを訊いてみたいと思っている。
1960年代に「64歳になってもわたしを愛してくれるだろうか?」と歌ったとき
いつか自分も64歳になりさらに71歳になるだろうと想定していたのだろうか、と。

デヴィッド・ボーイが亡くなったが、マック・ジャガーが大声を張り上げ、
ボブ・ディランが歌い続けている。
歌うことを止めることはできないできないのだろうか。

● 団子より花

最近思う。
人生は「歌」と「踊り」のお祭り騒ぎ、それに花があるのがいい。
団子はその次だ。
● 王国と共和国

国家のもとは 王様なのだろうか?
王様が必要なのだろうか?

昌平塾で中国の何千年の歴史を学んでいるが、どの時代を見ても同じことの繰り返しのようだ。
ギリシャやローマでどのようにして共和制が成り立っていたのだろうか。
フランス革命やアメリカ革命で出来上がった近代の共和制、王様なしで成り立っている国は全く限られている。

国って一体なんなのか?
最後までお付合いくださりありがとうございます。
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