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!HOT NEWS! 26-043. メルマガ「うごくもの うごかないもの」平成26年8月号発信

26-043. メルマガ「うごくもの うごかないもの」 平成26年8月号 発信

 8月15日のお騒がせ。

お時間のあるときにご笑覧ください。

 

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      うごくもの うごかないもの
        ─ 人・企業・不動産 ─
         平成26年 8月号
        まぐまぐ ID 99461
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 序章
   ○ 8月  
 第一章 感覚
   ○ 蝉
   ○ 川は流れる・・・ 
   ○ 「自立」
 第二章 マクロ ミクロ 
  ○ 世界情勢
  ○ 政治・経済
  ○ 「期待はずれ」
 第三章 小説と映画
  ○ 小説「殺人出産」村田沙耶香著 講談社
  ○ 映画「フィフスエステート」
  ○ 映画「大統領の料理人」
 終章
  ○ 終りからの出発
 
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 序章

  ○ 8月
 
 まずは、残暑お見舞い申し上げます。
 
 8月は特別な月です。
夏休みです。高校野球です。
戦争について、広島・長崎について、報道されます。
 
 弊社にとっても特別の月です。
1965年8月2日会社が設立されました。
(初代社長の誕生日にあたります)。
今から49年前です。
来年2015年は設立50周年の節目を迎えます。
来年には会社を上げての楽しい行事を計画したいと考えています。
 
 暑中見舞いの季節ですが、
今の時代、一筆献上とばかり、手書きを心がけています。
いただいた暑中見舞いの返事に旅行中に購入した手持ちの絵葉書に一言書いて出しています。
印刷して大量に郵送するよりインパクトがあるのではないか、
心を込めて書くと面白がってもらえるのではないか、
限られた人にその人だけの絵葉書(旅の思い出、有名絵画)を贈るのを気に入っています。
 
 パソコンで一生懸命やっているFACEBOOKでも
「友達」は少ないほうがいいのではないか、
そんなことを考える今日このごろです。
 
 第一章 感覚

  ○ 蝉
 
 蝉が鳴いているときはやかましいと感じるのですが
鳴かなくなるとさびしくなります。
北杜夫の「どくとるマンボウ昆虫記」に「蝉の話」がありました。

「盛夏、太陽がカンシャクを起こしてじりじりと地上に照りつけ、
人間たちがへたばってしまうころ、蝉たちは意気さかんにわめきたてる。
セミの成虫の生きている期間はごく短く、せいぜい十数日ということだ。…
それゆえにこそ彼らはあんなに鳴きたてるのであろうか。
それにしても鳴くこと鳴くこと、ジイジイジイ、ミーンミンミン、
よくもあれだけ鳴きわめけるものである。
短命だから鳴きたてるのか。
あまりにも鳴きわめくから短命なのか、わかったものではない。

・・・私の最も愛好するのはクセナークスの次の一句である。
 蝉の生涯は幸いなるかな
 彼らは声なき妻を有すればなり」
(鳴くのは雄の蝉だけ、雌はそれを聞いているのか、いないのか?)

 奥さんからガミガミいわれている定年後のご亭主には、
北杜夫に同意する人は多いかもしれません。
 しかし、私の個人的なコメントを許していただけるのであれば
そして若干自分のことをカッコよく言うわけではありませんが、
妻という長年常にそばにいる存在が、外からいろんなことを言ってくれ、
そんな声を、必ずしもいつも快適とは言わないにしても
安心感をもって聞くことができたのは、幸いであった、
と感謝している今日このごろです。
 
  ○ 川は流れる・・・

 この頃よく「死」のことを考える。
年齢のこともあるだろう。
確実に「死」がやって来ることが痛感できるからである。
 
 そして「自分」のことを考える、「生命」といったことを考える。
「来世」とか「死後の世界」といったものは信じられない方だから
一体今の「自分」はどうして出来てきたんだろうか、
どうしたものなのだろうかと、それほど真剣ではなく漠然と考える。
 
 最近昔読んだ本ももう一度読んでみようといった心境になっている。
従来私は一度読んだものを何度も読むより新しいものを求める好奇心の方が強いタイプ、新しいもの好きであった。
ふと中学時代に読んだヘルマン・ヘッセを読んでみた。
今もこのドイツ人ノーベル賞作家を読む人がいるのだろうか。
 
 そのなかでこんな文章を見つけて共感を覚えたので
引用させてもらいたい。

 「川が彼に教えた。
彼は川から絶えず学んだ。
何よりも川から傾聴することを学んだ。
静かな心で、開かれた待つ魂で、執着を持たず、願いを持たず、
判断を持たず、意見を持たず聞き入ることを学んだ。
・・・…
川は至る所において、源泉において、河口において、滝において、渡し場において、
早瀬において、海において、山において、至る所において同時に存在する。
過去という影も、未来という影も存在しない。

そうだ・・それを学び知ったとき、私は自分の生活をながめた。
すると、これも川であった。
少年シッダールタは、壮年シッダールタと老年シッダールタから、
現実的なものによってでなく、影によって隔てられているにすぎなかった。
シッダールタの前世も過去ではなかった。
彼の死と、梵(ぼん)への復帰も未来ではなかった。
何物も存在しなかった。
何物も存在しないだろう。
すべては存在する。
すべては本質と現在を持っている。」

「シッダールタ」ヘルマン・ヘッセ 新潮文庫
 
  ○ 「自立」

 自分で立つ、自分の足で立っている、この事自体大変なことだと気がついた。
たいていの格闘技は、地面に体をつけられると、つまり土をつけられると負けることになる。
球技でも体が地面に倒れてしまうと、プレーから離れなければならないルールが多い。
それほど二本足で立って行動するのは大事だとみなされている。
 
 まして精神的も自立しているかと議論しだすとこれまたさらに一層難しい問題だ。
自分自身でものを見て、感じて、判断して、考えて、そして行動する。
他者から強制されず束縛されず、他者のものの見方からフリーになって、本当に自分が自立できているのかどうか、
そんなことを言い出すと「自分で立つ」ことが一層の大事業となる。
 
 「自立」と対極の状態は「寝たきり」だろう。
できることなら「ピンピンコロリ」という終わり方が望ましいように思う。
「寝たきり」の状態にならないよう万全を期すべきなのだろう。
 
 人間の「寝たきり」も大変だが、ペットの「寝たきり」も大変のようだ。
先日「老犬を寝たきりにさせない飼い方」というセミナーに出席する機会があって、いろいろ教えられ、考えさせられた。
以前であれば数年で死んでしまった愛犬が10年を超え15年以上生きることが多くなってきているという。
長生きに伴って病気の問題も取り上げられた。
昔ならガンや腰痛や認知症などに罹る前に死んでいたのが、今やこのような病気になるペットが急増しているらしい。
 
 このようなペットを「寝たきり」にさせないためにはどうすればいいかというのがテーマのセミナーだが
人間のこと、自分のことにも適用できる内容ばかりであった。
「寝たきり」は急にやってこない、という認識から、その兆候がないか常日頃気をつけること。
「寝たきり」にしないために予防をすること。
犬の場合であれば、骨が弱っているので段差のある場所を飛び降りたりさせない、
足を温めたり腹巻をさせたりして血の流れをよくする・・・
ペットにお灸をする話も出ていた。
 
 「自立」から「寝たきり」の話題になってしまった。
人間からペットの話になってしまった。
 
 第二章 マクロ ミクロ 
 
  ○ 世界情勢

 このごろ毎朝テレビのBSで世界各国のニュースを見るのが日課になっている。
映し出されるのは戦争の話ばかり。
国と国、民族と民族が武器を持って戦い合う光景が延々と映し出される。
民間人が避難民となり子供や女性が犠牲者となる。
大昔から日本も含め世界中で繰り広げてことである。

 力を用いて支配する以外に世界を統治する方法はないのだろうか。
そして力に対抗するのには力しかないのだろうか。

 また、戦争や戦いにおいて国家がとてつもない強制力を持っていることに脅威を覚える。

  ○ 政治・経済

 どのくらいのタイムスパンで物事を考えればいいのだろうか。
例えば日本の政治家は5年先のことを考えて思考し行動しているのだろうか。
それとも10年先、20年先、50年先、100年先を見ているのだろうか。
それとも次の選挙のことを考えているのだろうか。

 判断材料は十分なんだろうか。
判断できると確信して判断するのだろうか。
人間の知識と認識でカバーしきれないものをどのように思考回路の中に入れていくのだろうか。

 原子力発電のことを考えている。
東京オリンピックに向けての自然天災対策の万全性について考えている。
本当に大丈夫と言い切ることの危うさについて考えている。
謙虚であるべきではないか。
正直であるべきではないか。
分からないものは分からないものとして取り扱うべきではないか。

  ○ 「期待はずれ」

 人間関係全般についての考え方ではあるが、人に期待しないように自分に言い聞かせている。

 ちょっと大げさになるが、心の基本的なところで「期待」することを禁じるようにしている。
何かをしたとしても、それについて人からなにかしてもらえるとか何かしてほしいと思うとか、人に対して「期待」することは止めるようにしている。

 「期待」しないように心がけている。

 こんなことがあった。
天神祭の時2時間ほど船上から花火を見て遅くなって疲れ切ってやっと地下鉄に乗って南森町でやっと座ることができた。
ところが天満橋でもまたどっと浴衣姿の人たちが入ってきた。
ドアすぐの席に座っていた私のすぐ前にも人が来た。
若い二人連れで、なにげなく女性に目をやるとお腹が出ているのがわかった。
前にいる男の方に「座りますか」と声をかけて席を譲った。
女性は男の方を見たまま腰を下ろした。
視線は男性の方を向いたままでこちらを向くことはなかった。
ふたりともこちらと視線を合わすことなくもちろん言葉のやりとりもなかった。

 感謝をしてもらうつもりはなかった。
こちらの心境の具合で勝手に席を譲ったのだし、感謝を期待したのではないはずだった。
ところが実際に感謝もされず相手からなんにもないと分かると、
そんな状況を前にしてひそかに何かを期待していた自分がいて、
そして結局そんな自分が「期待外れ」だったことに気付かされた。
期待しないはずが期待している、ああ、なかなか自分の思い通りには悟れないものだ。

 期待外れ、自分への期待外れ。
人への期待外れなどを言うまえに・・・

 第三章 小説と映画

  ○ 小説「殺人出産」村田沙耶香著 講談社

 本の帯にこう書かれている:10人産めば、1人ころしてもいい。
「殺人出産制度」が認められた世界を舞台に、「生」と「性」の倫理観に疑問を突きつける衝撃の問題作!

 こんな風にコピーを書かれると、私なんぞはキャッチされないわけには行かない。
早速アマゾンで購入して第一に読んだ。

 この本には4つの短編が収められていて
「性」「男女関係」を中心に「生と死」「夫婦、家族」といったテーマを斬新な「切り口」から取り扱っている。
ただ、なにか知的ゲームに感じられて残念に思った。

 性、生について描かれているが、
もっとSFファンタジー的に社会制度の「制」をもっともっと書いていたら大小説への出発点になった気がする。
ジョージ・ウエルズの「1984年」の系譜に連なる作品になる可能性を秘めている。
制度的な背景とそれに加えて登場人物一人ひとりがもっと重層的に描かれ、肉付けして欲しいと感じた。

 注目すべき作家で、これからどんな風になっていくのか楽しみだ。

 最後にこんなことを書くとすべて台無しにしてしまうのかもしれないが、
感じたことを正直に言えば、「女と男は違うなぁ」と痛感(文字通り、痛く、傷が痛むように、痛みとして感じる)した。
それだけ期待があるということだ。

  ○ 映画「フィフスエステート」

 内部告発サイト 「ウイキリークス」を作った男アサンジの物語。
情報をどこまで公開できるのか。
どこまで公開すべきなのか。

 ジャーナリズムとはなになのか?
これからのジャーナリズムは?

 難しい問題を提起している。
 
  ○ 映画「大統領の料理人」

 フランスでの大統領のイメージ、庶民と大統領との距離感みたいなものが感じられて面白い。
郷土の味へのこだわり、食と文化、教養が見え、フランス人の茶化し方、人を思いやるやり方がじんわりと染み込んでくる。

 終章

  ○ 終りからの出発

 手法として「最後から発想」していくという方法がある。

 組織にせよ、プロジェクト・計画にせよ、何か考えていくとき
まず出発点として「最終型」「理想系」を想定して、そこに至るには何をすればいいか、何が必要かを考えるというやり方である。

 うまく契約できたとする。
その場合何があったからできたのか。
どういう条件が揃ったからできたのか。
どういうタイミングでどのように行動したからできたのか・・・
このように最終型から詰めていく、逆方向から分析していくやり方である。

 このやり方で考えていくと、「終わる」とか「終える」という発想を最初から含んだ思考をしていかないといけないことに気がつく。
家を建てるときには解体撤去を考えに入れて設計しないといけないということだし、
計画を始める時には、いつ終了するのか、どのようにして終了するのか、
こういったことを視野に入れないといけないということだ。

 そして今考えている:
死んだ後どのようになっているのが「私」の理想形なんだろうか、と。

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