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25-027. うごくもの うごかないもの 「食べ物」の歴史

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うごくもの うごかないもの
ー人・企業・不動産ー
平成25年 6月 月末特別増刊号
まぐまぐ ID 99461

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○ 「食べ物」の歴史

1)バター            2)阪本の赤まむし
3)ヤギの乳          4)卵と「かしわ」
5)果物              6)茶の葉
7)「まむし」うなぎ  8)おはぎ
9)もち            10)雑煮
11)豚肉の生姜焼き  12)納豆とうどん
13)羊の脳みそ  14)クレープ

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食べ物の歴史

自分がどんなものを食べてきたか書いてみる。自分の人格形成に影響を与えているかもしれない。そんな思いからである。

1) バター
小さい時肋膜を病んだり虚弱だったので医者の勧めだと思うが、「バター」それも本物の貴重な高価なバターを食べさせられた。薬替わりのようだった。

2) 「阪本の赤まむし」
虚弱体質を治す手段として石切へ連れて行かれ「蝮の血」を飲まされた。決して美味しいものではないが元気になると思えば頑張って飲むしかない。蝮の肉の方がまだ美味しかったような印象がある。私の血の中には蝮の血が混じっているのだろうか。(そういえば時々ひねくれた血が騒ぐ?)

おじいさんは、静岡の百姓の出で、次男坊か三男坊で、耕す土地がなかったから仕方なく国を出て行った。ウロウロして最終的に大阪へ来て八尾で土地を買って、引退後はおばあさんと百姓仕事をした。だからうちには結構いろんなものが植わっていたし、動物もいた。

それではまず、動物性タンパク質から

3) ヤギの乳
子供に飲ませる牛乳なんてものは貴重な高価なものだったろうから、ヤギを飼ってその乳を飲ませてくれたのだろう。採れたてというといいのか悪いのか、生温かったような印象、ヤギの毛が混じっていたような、・・・ (おじいさんがフランスの農家育ちならヤギのチーズでも作ったかもしれない)

4)卵と「かしわ」
小さい時家に鶏が結構いた。何匹いたんだろうか。
貝殻を細かく潰して食料に混ぜるとしっかりした卵のカラになるというのでそんな作業を一生懸命やっていた。卵が大きな蛋白源だったろうが、お祝いごとになるときに食…べた「かしわ」のうまさは忘れられない。鶏を一匹「つぶす」。首をひねって、羽をムシって、みんなで食べる。美味しかったのは腿の肉とかではなく、骨にこびりついて残った細かい肉をかじりとって食べたもの。高い木の上でひとり味わう百舌鳥になったような快適さを覚えた。「かしわ」というのは一番うまい肉料理だと子供心につぶやいた。

注)黄鶏 – 褐色の羽色の日本在来種のニワトリ及びその肉。
鶏肉 – 鶏肉一般を「かしわ」と呼ぶのは、上記の「黄鶏」から転じたもので、主に西日本(中部地方の一部、関西地方、九州地方)で用いられる。「かしわめし」や「かしわうどん」など。
岡山弁では、老鶏の肉のこと。排卵を終えた親鶏の肉など。(ウイッキペディア)もっと見る

祖父母は、静岡の百姓家を飛び出さざるを得なくて、最終的に大阪の河内の地現在の八尾市に土地を買って住むことになったのだろうが、引退後は故郷でやれなかった畑仕事をこまめにやっていたので、おそらくあの家は祖父母にとっては自分たちが丹精込めて作り上げた「エデンの園」だったのだろう。前に書いたが、ヤギがいて、鶏がいた。

果物のことを書いてみよう。

5) 果物
今思い出すと結構いろいろあったものだ。
一番手のかかったのは桃だろう。害虫防止のため実ひとつひとつに袋を被せた。袋は新聞紙で作った。何本もあったので結構な数だった。なんの世話もなしで食べられたのは無花果(いちじく)な枇杷(びわ)、葡萄の(ぶどう)の棚もあったが世話をした記憶は薄い。苺や西瓜、マクワも栽培していた。親父も孫も庭仕事には興味がなかったから今はもう何も残っていない。辛うじて今も放って置かれながら自然の豊穣さで喜ばせてくれる秋の甘柿の木があるくらいだ。おじいさん・おばあさんにもっといろいろ教えてもらっておけばよかった。

6) 茶の葉
特記すべきは家で茶を栽培していたことだろう。静岡出身だから当然といえば当然なのかもしれない。庭の塀沿いにずっとお茶の木が植えられていた。茶摘みをして家で茶の葉を蒸した。日本茶だけでなく紅茶も作っていたように記憶している。葉っぱ、蒸した新芽の茶の葉をむしゃむしゃ噛むとそれだけですこし甘味が感じられた。

なにもない時代、思い出せばある意味贅沢なものを食べていたことになる。

おばあちゃんで思い出す食べ物、まず2つ:

7) 「まむし」うなぎ(鰻丼うなどん)
いくつくらいかはっきりした記憶はない。
おばあさんとなんか定期的に歌舞伎座へ歌舞伎を見に連れて行ってもらっていたようだ。何回くらい行ったのか、まったく記憶にない。遠くから見ていたようなのでそんなにいい席ではなかったのだろう。舞台がやけに明るく、衣装がやけに色鮮やかであったのが強烈に印象に残っている。その後の人生でそんな経験のせいで歌舞伎が好きになったり歌舞伎に興味を持ったりしたことはなかった。

覚えているのは、歌舞伎の後必ず「まむし」を食べたことである。「まむし」というのは「うなぎ」のことで「鰻丼(うなどん)」である。うなぎというと「うなどん」で「鰻重(うなじゅう)」なる食べ方があるなんて知らなかった。千日前のあたりか戎橋筋通りか、細い階段を二階へ登っていった。
… おばあさんはなんで歌舞伎へ孫なんかをつれて行ったんだろうか。今思うと不思議な気がする。

8) おはぎ

もうひとつは「おはぎ」である。おばあさんが作ってくれたのだと思うのだが、母親も手伝っていたのか、定かでない。覚えているのは、美味しかったのと大きかったことである。餡子がべったり沢山ついているのときな粉のものとあったが、きな粉の方が好きだった。口いっぱい頬張って二つも食べると満腹感で幸せだった。
贅沢なご馳走だったのだろうか

( こんな思い出話を書いたあと
娘に話すと、その場でスマホでウイキペディアを見て教えくれました。
「おはぎ」と「ぼたもち」が一緒のものだ、って。
確かに「ぼたもち」で検索すると「おはぎ」の項目に行き着きます。

なんとなく別物だと思っていましたが・・・
皆さん言葉に騙されないようにしましょう。
分かっているつもりのコトバにも注意しましょう。
同じことを話しているのか・・・同じことを話しているつもりが別のもののことかも

おばあちゃんの「おはぎ」から話が飛んでしまいましたが
ご存知でしたか?
「おはぎ」と「ぼたもち」って一緒のものだって。)

9) 餅
小さい時から「おもち」(餅といわずに、「おもち」と言おう)が大好きで、
兄弟家族で「おもち」の食い競争をしては優勝して威張っていた長男であった。
「おもち」は普段はなかったから、古い思い出の中では正月前のお餅つきと一体化している。
毎年12月30日がその日だったと思うのだが、一家総出プラス親戚、ご近所、さらに必ず近くの近鉄で働いていた男衆を一人力仕事に頼んでの大イベントであった。何合蒸したのだろうか。母親もおばあさんもほかの女性陣も大忙しの一日だった。石臼は毎年引っ張り出されてこの日のために(節句の時にも餅をついていたことがあったのかなぁ、緑のおもちを作っていたなぁ、これを書きながら考えている。こんな文章を書いているといろいろ思い出して面白い)丁寧に洗われた。女性陣がタイミングよく手につけた水で餅を冷やすのがスリリングであった。
出来たての「おもち」を食べる、アツアツの…やつを醤油にちょっとつけてそのまま食べる、手で小さくちぎって食べる、次から次に食べる・・・みんな働いているから気兼ねしながら子供の特権で食べる。
餅つきの思い出は、杵の間から手を突っ込んで石臼の出来たての「おもち」をつまみ食いすることだ。

10) 雑煮
大阪の雑煮は味噌雑煮だということを知ったのは割合最近のことだ。うちのは祖父母が静岡ということで「おすまし」、ダシででとった透明ななかにみずなとおもちが入っていて、それにたっぷりと鰹節(オカカ)をかけるという、シンプルで美味しいものだった。お雑煮にいろんな種類があり地方毎に違うということを知ったのは小学校のPTAの役員会で話をしたのがきっかけだった。八尾のひとでも味噌雑煮でないところが結構あったし、いろんな雑煮があるのがわかって面白かった。PTAの仲間でインターネットを調べたりした。

東京(青春)の(惨めな苦い)思い出

11) 豚肉の生姜焼き
東京での食物の思い出ってあまりない。
大阪から東京の大学へ来て渋谷の近くで部屋を間借りした。
2階のもう一つ別の部屋には九州出身の理科系一年生がいた。
自意識過剰の悶々とした学生生活を始めたわけだ。
同窓生を何人か知るうちに鎌倉出身の三島由紀夫好きの見るからに文学青年が年の上の女性と同棲しているのがわかった。彼女の部屋に招待されたとき同級生が作って食べさせてくれた料理、それが「豚肉の生姜焼き」だった。自分自身一人暮らしだったが料理なんかしたこともなかったが、彼は手馴れた様子で、二人の同棲生活の歴史や若干の疲れを感じさせるように料理し、テーブルに並べてくれた。客は僕ひとりだったのだろうか。なぜか生姜の匂いと(遠い世界のものと憧れた)女性との同棲とが結びついている。

12) 納豆とうどん
在り来たりのところでは、東京へ行…って飯付き下宿で納豆がでてきた。納豆といえば甘納豆のことしか知らないので、拒絶した。関西人としてはこんなもの人間の食べるものでないという当然のことであるが、関東の田舎では理解されていなかった。それから誰が言いだしたのか知らないが、栄養がどうの、なにがどうのと、納豆売の営業制作が成功したようで、今はうちの息子も食べるようだ。しかし私は食べたことがない。フランスから大阪は八尾へ来て25年以上になる我が配偶者も食べたことがない(亭主に隠れて食べていることもないだろう)。
在り来たりのところの話では、東京でのうどんのお汁の真っ黒さ、うどんのぐにゃぐにゃさ。文化程度の低さ、というか、味覚の鈍感さというか、とにかく驚きました.

フランスにいた時の友達からコメントをもらったので
フランスでの「食べ物」について書く事にした。

東京からパリへと飛んでみましょう。

今まで小さい時から日本でいるときに食べたものの思い出を書いてきましたが、
… 本当言えばその時代食物はどうでもよかった。東京でひとり暮らしの時などは三度の食事が面倒くさくて、食事の理想形は宇宙食(カプセルを飲んで栄養バランスよし、と考えていたほどの興ざめ男子であった)と考えていた時期もあった。
フランスへ行って私の人生変わった、これはみんなに言っていることだが、食うことを人生の目的にしているフランス人人生快楽主義に出会ったことは大きい。ただ、それが分かるには大分時間がかかった。まずパリでの食べ物の思い出は貧乏学生生活と結びついている。

13) 羊の脳みそ
1969年のパリでも食っていかないといけない。それも安く食わないといけない。
安く食べるためには学生食堂へ行くことだ。学食に行くために学生証を手に入れる、そのために大学に席を置く、こんなことが行われていた。
ソルボンヌ大学のあるカルチエラタンには沢山学食があった。一般的に都心に近い便利は大きな学生食堂はめしはまずかった。町外れ、あるいは小さな食堂たとえばカトリックの女子学生を対象にしているような学食は美味しかった。
そうは言っても 当然原価を抑えてあるからそんな美味いものはでない。腹がいっぱいになればいいという学生相手である。メニューの中で日本人が食べにくいのは羊の脳みそである。脳の形をしている。白というか灰色というか、シマが入っていたように思う。(アガサ・クリスティの探偵小説主人公ベルギー人のポワローだと思うが「灰色の・・・」と脳を評して言っていたように思うが、羊の脳を見てもそんなことを思い出す)
柔らかくてその感触がまたあまり気持ちのいいものではない。人によれば豆腐みたいなものやん、と言う。まあ、なんかと一緒に流し込んで食べていたような気がする。
もう大昔のことでよく覚えていないので ウイキペディアで調べてみた。
(注) 牛(成牛および子牛)、豚、羊、ウサギなどの家畜の脳は食材としても用いられる。
主にヨーロッパおよび中東では肉屋の店先のほかスーパーマーケットでも流通している。主に煮込み料理の出汁取りとして使われる他、フランス家庭料理のテット・ド・ヴォー(子牛の頭)という料理ではほほ肉と共に脳が用いられることもある。同じく頭部肉のゼリー寄せなどに細かく砕いた脳が含まれることもある。このわたの様な独特の食感がある。BSEの影響により一時期ヨーロッパでは食材としての脳や骨髄の流通は減少したが、伝統的食材としての存在は未だに広く一般に受け入れられている。
(ウイキペディア)

こっちは青春の明るいお話、初夏の日差しを真面に受けて、石原慎太郎の「太陽の季節」か(もう誰も覚えていないのだろうか、作家も年をとるとダメですねぇ)あるいは三島由紀夫の「潮騒」(純粋無垢な若い男女)との一シーンを思わせる(?)

14) クレープ
こっちは暖かい天候の太陽の下、リュクサンブール公園の思い出と結びついている。
初めての春、暖かく気分もワクワクしだす季節。公園にみんなが出て太陽を浴びる。街角で焼き栗が売られる。
カフェの店先で女性がクレープをその場で作っては売っている。メリケン粉を薄く鉄板に引きくるりとしてひっくり返す。熱いそのままを紙に包んで渡してくれる。
ワンピースを着ていて白い腕は出たままだ。大きく動く体、腋はそのまま顕に見える。腋にはその女性の毛が、黒々とした毛が見える。当たり前のようにして見える。
彼女は労働者だ。生活者だ。肌は太陽に赤く光る。
そんな女性を見て、高校生の初恋の女の子を思い出した。初めてデートして室生寺へ行ったとき電車の吊り革を彼女が握った時に覗き込んで見た彼女の腋にはうっすらと生えていたのだろうか。物凄く可愛らしい少女だったが、その時そんな変なことを考えている自分は馬鹿だなあ、そんなことと関係なく彼女はこんない美しいのに・・・
クレープの食欲の話から別の次元の話になってしまった。
クレープは砂糖で食べるのが一番おいしい。一番シンプル、シンプルな味が一番。

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